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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第11席

惣七と観音寺久左衛門の弥彦燈篭祭

119 鵜ノ森さて申し上げます。ここに惣七の子分に鵜の森三太郎と申して、少々物の足りない人がございましたが、根が正直者ですから惣七はじめ、一同にかわいがられておりました。ここに三條町の木原屋と申す遊女屋にお静と言う遊女がございまして、これを深く馴染みまして、折々登楼を致します。或る日ここへ来て、愉快を極めておりますると、同町に竹本屋と申す遊女屋がございまして、その所に遊んでいた三人連れの客一人は観音寺村久左衛門と申して越後名代の博奕打の子分で、峰山勝三と言う者がございますが、外二人の連れが有りました。勝三もやはりお静に馴染みでおりますから、竹本よりお静を呼びにやりましたが鵜の森三太郎が参っておりまするから断って参りません。
120 勝三は一杯機嫌で「お静は何故こないのだ。」
下女「只今もらいに行きましたが、お客様があるから来られねぇと言いました。」
勝「来られねぇの来られるとの、馬鹿ぁ言いな。誰だと思う。峰山の勝三様がいらっしゃたんだ。何でもかまはねぇから連れて来い。」
下女「それでもお客様があるんだから左様言ったって来やしません。」
勝「来ない事があるものか。面して客と言うのは何処の奴だ。」
下女「今聴きましたら、新飯田村惣七親分のお身内で鵜の森三太さんと言う方でございます。」
と聴いて勝三は面色を変え
勝「なに惣七の子分だ。それじゃなお了簡がならねぇ。皆も聴きや。惣七と言う野郎は昨日今日の博奕打で卵の殻ぁ、尻へ着けているくせに、古い親分方をないがしろにしていやがる。端下(はした)奴だ。その子分とあるからにゃ、ここで逢ったのが百年目、坊頭が憎けりゃ袈裟(けさ)までだ。日頃己ら達の仲間を馬鹿にしやがった意趣晴らし。これから直に木原屋へ押し上がって三太と言う野郎を打ち据えて、お静を己がもらわにゃならねぇ。二人とも一緒に来てくれねぇ。」
121 〇「そう言う事なら勝三兄い、一緒に行って三太と言う野郎を打っちゃよう。そうした上でお静坊を峰山の兄いが手に入れよう。」
勝「この事ぁ、一番面白い。」と三人が下女の止めるのも聞きませんで、木原屋方へ参りました。鵜の森三太は、そう言う事とは知りませんから奥の小座敷でお静と今飲んでおりまする所へ勝三が先に立ち、二人後ろに続き、ドカドカと上がりました。
下女「おや峰山の親分、よくいらっしゃいましたねぇ。」
勝「よくもねぇ。二階が開いているか。」
下女「開いています。」
勝「酒と肴を早く持って来い。面してお静を連れて来い。」
下女「お静さんはお客でございます。」
勝「なんだ客だ。糞でも喰え。勝三さんが言ったと言って連れて来い。」
下女「それでも貴君。」
勝「連れて来られなけりゃ己が往って連れて来る。」
下女「あれ、お止しなさいよ。」
122 勝「何を留めるんだぇ。邪魔をするな。」と下女を突き飛ばし三人連れで三太の飲んでいまする座敷へ理不尽に足で障子を蹴倒し飛び込みました。勝三三太に向い
勝「おい三太兄いとやら、己は観音寺の子分で峰山の勝三と言う乱暴者だ。以後は面を覚えてくれねぇ。そこで此処にいるお静と言う女は己が遠からなじんでいるんだから今夜は己が貰って行く。それとも何か言い分があるか。挨拶をしろ。」
と座敷の真中へ大胡坐(あぐら)をかきました。三太は只、青くなってぶるぶる震えて一言も出ません。
勝「この野郎は、オシかツンボか何を言っても黙って合って、張り合いのねぇ大箆棒(べらぼう)だ。ちっと性根をつけてやろう。」
立ち上りまして側へに有し煙草盆で三太の頭を二ツ三ツ打ちました。
お静「勝三さん、人の座敷へ踏み込んで乱暴も程があります。怪我でもあったら如何なさいます。酔っていればとっていい加減におしなさい。」
勝「乱暴に違いねぇ。手前達の口を出す所でねぇ。乱暴と名がつきゃ乱暴次第に斯く(かく)するのだ。」
123 とまたまた三太に打ってかかります。三太は打たれながらも一生懸命、階子から飛び降りまして命からがらその場を逃げ出し新飯田村へ帰りましたのは、その夜は九ッ半頃でございます。表の戸を叩き(たたき)
三太「開けてくれ。」
岩蔵「三太か、大層遅く帰ったな。今開けてやるから待っていろ。」と行っての戸締りを開けまして
岩「さあ入れ、大層遅かったな。何処へ行ったのだ。」
三太は溜息を吐きながら
三「親分岩はお帰りにならねぇが、姉さんが奥に寝ておるから静かにしろ。」
という中、おたかが目を覚まして
たか「岩や、誰だぇ。」
岩「三太が帰ったんでございます。」
たか「なに三太が帰った。大層遅く何処へ行ったんだ。」
と言うと、三太はそっと泣き出しました。
岩「この馬鹿野郎め、何が悲しくって泣くんだ。」
三「口惜しい(くやしい)、口惜しい。」と高泣きをしますから、おたか
たか「三太、何が口惜しいと言うのだ。聴いてやんなよ。」
124 岩「この馬鹿野郎、何が口惜しくって泣くんだ。」
三「今夜三條の木原屋へ行った。お静と言う女を買ってると、その処へ観音寺久左衛門の子分峰山勝三と言う奴が三人連れて来て、何でもお静を己にくれろと言う。くれざあ斯う(こう)してもらって行くと言って、寄って懸って己を三十八打なぐった。」
岩「打たれていて勘定していたのか。呑気な(のんきな)野郎だ。それから如何した。」
三「それから裏階子を飛び下り一生懸命に逃げて来た。打たれるのはいくつ打たれても我慢をするが、女を取られたのが口惜しい。」と又泣き出しました。
岩「姉さん、お聴きなさいましたか。なんとまぁ馬鹿な野郎じゃございませんか。打ちなぐられてもいいが女を取られたのが口惜しいとぁ愛想がつきて物が言われねぇ。」
たか「本当だよ。今に親分が帰って来て左様事をお聴きなさると、どんなに怒るか知れやしない。」
と話をしていまする所へ表の戸を叩き
惣「岩や開けろ。」
125 岩「へー只今開けまする。」岩蔵門口を開け
岩「親分お帰りなさいまし。」
惣「大層家がにぎやかだな。まだ寝ないのか。」
たか「なあに一寝入り寝ました所へ三太が帰って来て、今皆目を覚ましたんです。」
惣「三太、何処へ行った。」
岩「親分、この馬鹿野郎にゃ愛想がつきました。」
惣「野郎、また失策た(しくじった)のか。」
岩「失策た所じゃありませんわな。今夜三條の木原屋で、観音寺の子分峰山勝三に散々打たれた上で、敵娼(あいかた)までもぶん取られて、今方帰って来て泣いていやぁがるんですわな。」
たか「本当に意気地の無い奴じゃありませんか。」
惣「三太、その勝三と言う奴ぁ、惣七の子分と知って打ったのか。」
三「知って打った所じゃありません。惣七と言う奴は一体ふざけた奴だ。その子分だから思うように殴れと寄ってたかって打ちました。」
惣「そうして手前どうした。」
三「裏階子から逃げ出しました。」
惣「何だ逃げ出した。この糞白癖めえ。手前の恥は己の恥だ。打ち殺されてもその場に何故いねえ。」
三「痛くって我慢ができません者を。」
126 岩「親分、こんな奴に物を言ったって駄目だ。お止しなさい。」
惣「本当にそうだ。しかし観音寺の身内とあらば黙って引っ込んじゃいられねぇ。自己も彼奴にゃ
言い分があるから。」と暫く考えうなづきまして
惣「三太、今度は己が意趣を晴らしてやるからこの後は打ち殺されても逃げて来るな。」
三「この後は女子の側にくっついて、逃げては逃げては来ません。」とやがてその晩は帰りました。
さて毎年六月の十四日は弥彦山の燈篭祭と申して、大層盛りますがここは観音寺久左衛門の縄張りで大きな博打ができまする。惣七は兼ねて心に思う事のございますれば、当日只一人出かけまして、あっちこっちとぶらついておりますると、只今久左衛門の賭場より峰山勝三は何の気も付かず出て来まするを惣七は目早く見て
惣「おい峰山の兄い、ちょっと待ってくんねぇ。」
勝「これは新飯田の親分。何か用かな。」
惣「手間は取らせねぇが、ちょっと待ってくんねぇ用事とは外じゃねぇ。この間三條で己の子分の鵜の森三太をよくも苛酷目に合わしてくれたなぁ。その礼を言うとさっきから己奴の居所を尋ねていたんだ。」
と突然拳骨(げんこつ)を固め、勝三の横面を二ツ三ツ打ちました。
127 只の拳骨と違いまして五人力の拳骨でございますから、余程堪えたと見えまして、勝三は声を上げ、誰か来てくれ〜痛え〜と言う声を聞き付けまして、それ喧嘩だ。賭場荒しだと俄かに騒ぎ立ちますると久左衛門はこれを聞き付け、相手は誰だと聴きますると、新飯田惣七峰山勝三を打ったと言うに、久左衛門大きに怒りまして
新飯田惣七と言う奴は所々の賭場を荒すと聞いたが憎い奴、打ち殺してしまえ。」
と子分の者に指図致しますから、子分一同は獲物を持ちまして、惣七に打って掛りまするを惣七は事ともせず大刀を引き抜きまして大勢を相手に戦っておりまするが、何分にも相手は大勢、惣七は只一人、次第次第に弱る所を後ろより千曲川武助と言う江戸場所にて二段目までも取り上げました相撲取りが抱きつきましたから、惣七は長物を捨て、千曲川と組つ解れつ、上になり下になり暫く捻合いました。
128 観音寺 惣七は最前よりの疲労にとうとう武助のためにねじ伏せられました所を寄ってたかってグルグル撒きに縛り上げました。
子分「やぁ関取御苦労、大層骨を折らせやぁがったやい。惣七ざまを見ろ。身動きする事もできやしめぇ。」
千曲川「中々手剛い男じゃ。おまえ方が五人や七人かかったって如何して手に合うもんかえ。そうしてこれから如何するのだ。」
子分「親分が今方、お帰りになったからこの奴を家へかついで行こうかと。」
それより大勢で惣七観音寺村へかついで参りました。入口から大勢が親分大変でしたぜ
久「野郎は如何した。」
子分「とうとう千曲川関が取り押さえて縛り上げて連れて来ました。」
久「それは御苦労。直に庭の松の木へ縛っておいて、皆は奥へ来て一盃飲め。」
子分「それじゃ野郎の仕舞として一盃いただきやしょう。」とそれより惣七を庭につなぎ捨てにして
大酒盛が始まりました。久左衛門は子分に向い
129 久「惣七を酒の肴に生き作りにしてくれようから、その準備をしろ。」
子分「かしこまりました。」と庭へ戸板を並べ、その上へ惣七を寝かしまして
子分「親分、支度が出来ました。」
久「それじゃこの酒を縁側へ持ち出せ。」
と運んで左手に大盃を把ながら、右手には白刃を提さげ静かに庭へ下り立ちまして惣七の目先へ突きつけ
久「やい惣七、よくもこれまでそっちこっちの賭場を荒したな。今日この所へ出て来たのは己奴が命が終わる時節だ。久左衛門が酒の肴の一寸だめしの生き作り、念仏唱えて往生しろ。」
惣七の顔をにらみつけますると、惣七は最前より一言も口をきかず、顔の色も変らずパッチリ眼を開いて、久左衛門の顔を見ておりますから、久左衛門は白刃をもって惣七の頬をぴたりと平打ちにたたきますれど、一向恐れる気景のございませんから、さすがの久左衛門もその度胸に驚きまして、縛った縄をぱらりと切り捨て、子分に言いつけ奥へ伴い
130 久「新飯田の兄い。さあ遠慮はいらねえからこっちへ来て下さい。今日の始末は外じゃねぇが、久左衛門がお前の度量を試さんが為、手荒い仕事をやったのだ。もう何も言わない。感心した。今日から改めて兄弟分に成ってくれねぇ。」
と盃を指しました。この時惣七は始めてにっこり笑い
惣「これは観音寺の親分、私の様な二才野郎に盃を下さるとはありがたい。以後はお目に掛けられて引き立ておくんなさい。」
と盃を受け、それより惣七久左衛門と兄弟分になりましたから、益々惣七の名前が上りました。さてここに惣七大難にかかり不思議にのがれるという奇談は明晩上げます。

地名の解説

鵜の森=加茂市鵜ノ森
観音寺=西蒲原郡弥彦村観音寺
峰山=旧西蒲原郡巻町峰岡(明治3年に峰山から峰岡に変更)
米百俵
三根山藩の米百俵
へどうぞ。

観音寺の久左衛門

弥彦村観音寺の久左衛門は、代々松宮家の一族で久左衛門を名乗った。
久左衛門(松宮雄次郎)は1873年(明治6年)に亡くなっているが、
この物語に登場する久左衛門は、松宮雄次郎の祖父(先々代=松宮藤助)であろう。
松宮家墓所案内松宮家墓所案内
【弥彦村観音寺の久左衛門の墓所】
弥彦スカイライン入口交差点より上り、一つめの信号を左折し、
100mほどの所にある路線バス停「観音寺」付近の『北越農事 弥彦農場』の看板が目印です。
『やひこ観光椿園』内に観音寺久左衛門(松宮家)の墓所があります。
松宮家墓所
地元の方のお話では、この辺りが松宮家屋敷だったそうです。

弥彦燈篭祭

弥彦燈篭祭は、7月25日(旧暦の6月14日)に行われています。
弥彦観光協会【弥彦浪漫】の弥彦・燈篭まつり
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