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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第13席

惣七と木山治六との遺恨の始まり

143 大野仲町 さて申し上げます。義侠の惣七も追々膏(あぶら)が乗って来ましたが、今席で申し上げまするのは結局に至り惣七大野町木山治六と申す者に信濃川で殺されまするその遺恨の始まりを一口申し上げます。大野町に穀物を渡世と致しまする亀田屋幸兵衛と申して、有徳の商人がござりました。嫡男(せがれ)を国太郎と申して当年二十二才になりまするが、その国太郎新潟古町の古葉屋と申す娼婦屋の抱へ芸者でお粂と申す者と深くなりまして、互いに夫婦の約束を致し一世は愚か、二世三世末までと云う深い交情でございました。ある時国太郎新潟へ参り、白山神社へ参詣してお粂を連れ出し直に大野へ参りましたが、父の幸兵衛は倅(せがれ)にかわり極々の固人でありまするからなかなか内へ連れ込む訳にも参りません。よんどころなくその頃大野において木山治六と云う子分の七十人もありまする博奕打の親分がございます。これを頼まんと思い国太郎お粂を連れて門口から
国「親分はお宅ですか」
子分「お出なさいまし。誰殿かと思ったら亀田屋の若旦那。さぁ上がんなさいませ。親分は奥におります。」
144 国「それでは一寸私が参ったとおっしゃって下さいまし。」
子分「かしこまりました。」と奥へ行きまして
子分「親分、亀田屋の若旦那がちょいと貴君にお目に掛りたいと云ってお出なさいました。」
治「左様か。お一人か。」
子分「いいえ、奇麗な姐(あね)さんをお連れなすって。」
治「何しろ、こっちへお通し申せ。」
子分「はい。」と出て参りまして
子分「若旦那、さぁこの方へお上がんなさいまし。」
国「御免なさい。」とお粂を連れて奥へ参りました。
治「国さんかぇ、さぁこっちへ。新潟へ行ったと聞きましたが、今お帰りかぇ。」
国「只今帰りました。それにつき親分にちとお願いの事があって出ました。」
治「はてぇ何でございます。」
国「他ではありませんが、ここに居りまするのは新潟の芸者で古葉屋のお粂と申す者です。」
粂「親方、初めてお目に掛ります。」
治「おや、古葉屋のお粂さんか。私も新潟へ行っては度々芸者も上げますが、名前は聞いていたが掛け違ってお目には掛らなかった。そして国さん、頼みとは。」
145 国「そのお願いと申すは他でもありませんが、このお粂と自己とは夫婦の約束を致しまして、それはそれは深い中。」
治「おやおや大変な話だな。」
国「親分、まぁお聞きなすって下さい。ところが親爺がああ云う堅固人間でございますから、中々物が解らなくって思いを遂る事ができません。そこで実は白山へ参詣すると云ってお粂を連れ出し、直にこっちへ参ったのは如何か。二人が添われる様、貴君様のお骨折りで親爺の方をこしらえて頂きとうございます。」
粂「只今、国さんの言った通りですから何分ともに親分様如何ぞお願い申します。」
治「何の事かと思ったら左様云う事でございますか。ははは。ともかく話はして見ましょうが何を云うにもあの通り堅い人だから何とおっしゃるかは知れねぇ。まぁ一番行ってみましょう。」
国「如何お願い申します。」
治「これ誰かおるならここへお茶を入れろよ。」と言い付け、治六は直に支度を致しまして亀田屋の方へ参りました。
146 見ると幸兵衛は帳合を致しておりまするから
治「旦那、今日は結構なお天気でございます。」
幸「これは木山の親分かぇ。さぁお上がんなさい。」
治「御免なさい。」と上りまして
治「さて旦那、私ゃ少し貴方にお話があって参りました。」
幸「左様か、なして話とおっしゃるのは。」
治「他じゃありませんが、その方の若旦那国太郎さんが今しがた私どもへお出なすっておっしゃるには、新潟の芸者で古葉屋のお粂と云う者と互いに深く言いかわし、今更切るにも切れぬ中、是非とも夫婦になりたいが親爺が堅い方だから自分で言い出す訳にも行かず、折り入って頼むから如何か話をしてもらいたいと余儀ないお頼み、若い間は随分ある中の事と思いましたから、わざわざ出向いて来ました。ご承知でもありましょうが、この治六にめんじてどうか夫婦にして上げて下さいな。」
幸「ええ怪しからん。何のお話かと思ったら、あの倅(せがれ)が芸者を女房に持ちたいと云うので貴方の頼へお願い申しに出ましたか。いやはや飛んだ野郎でございます。
147 如何して芸者や女郎が商人の女房になれるかなれないか、親方も御承知でしょう。憎い奴だ。道理こそ近頃新潟へ買出しに遣ると船の都合で荷が入らないとか何とかこうとか云っちゃ、四日も五日も泊って来やがって、私が行くとその日の中に用がちゃんと足ります。へいへい。他の事ならともかくも、これ事ばかりは親分さんお断り申します。」
治「左様だろうとは思っていましたが、実は達ってのお頼みゆえ、よんどころなく上がったのでございます。それじゃ如何でもいけませんかね。」
幸「お顔を潰す様だがお断り申します。」
治「そうおっしゃるも御無理のない事、是非に及びません。その趣きをお話申しましょう。大きにお喧しゅうございました。」
幸「まぁ宜しうございます。今お茶が入ります。」
治「又ゆるゆる参りまする。」と治六は立ち帰りましたが直に奥へ来まして国太郎に向い
治「まぁお待ちどうでございました。」
国「親分、誠に有難うございます。親爺は何と云いました。」
148 治「如何もいけないね。色々云って話したが御承知がないね。」
国「それじゃいけませんか。」
治「いけませんね。何と云ってもお聞き入れなさらず、何でも添わせる事はできねぇとおっしゃいました。承ってみりゃ無理もないて。」
と聴いて国太郎お粂は顔を見合わせ溜息をつき涙を含んでいます。
治「国さん、仕方がねぇから断念なさい。又そのうちに折りを見て親爺さんに話しましょう。その上さっきのお話には、このお粂さんを白山へ参詣すると云って連れ出したままだとおっしゃったが、遅くとも今日のうちに返せば仔細はないが、一晩でも泊ると面倒だから直にこれから新潟へ送ってお出なすった方がようございましょう。」
国「それじゃ親分、左様云う事に致しましょう。」
粂「色々お世話になりまして有難う存じます。」
治「誠にお気の毒だっけね。国さんなるたけ急いでお出なさい。」
国「大きにお喧しゅうございました。」とお粂を連れ、とぼとぼと大野の町を離れました。
149 平島 只今とは違いまして、腕車(じんりき)などない時分でござりまするから道がはかどりません。大野から新潟までは三里ございますから、途中で日が暮れました。二人は足も進みませんが、通りかかりました処は平島と申して信濃川の縁で向うは鳥屋野村(とやのむら)でございまする。新潟の燈火が水に映り晃々と見えまするから国太郎お粂に向い
国「もう新潟へ来たが如何した。前世の悪縁か、幾ら思い直しても絶縁られぬは私の事。」
粂「私もお前の云う通り、とてもこの世で添われねば死ぬと覚悟をしています。」
国「そなたが左様云う心なら一人は殺さぬ。私も一緒に情死して、あるかないかは知らないが未来とやらで夫婦になろう。」
粂「それなら左様して下さいまし。」と月明りに顔見合わせ、ホロリとこぼす一雫(ひとしずく)、芝居なら後ろを清元の延壽(えんじゅ)さんに遣ってもらいたい様な所でございます。ついでに龍生が一口申し上げますが、世間の悪口に越後女は薄情だから男に惚れる気遣いはないと申しますが、
150 私も長らく御当国におりまして、ほぼ俗風人情を承知しておりますに、なかなかそんな薄情者はおりません。もとより新潟の芸者衆と申すは皆、幼少の時からかかえ主に養育せられ、ほんの内娘同様でありまして、頃のぎりぎりから足の爪の先まで親持ちでございまして、暑寒の心配もなく後生、楽な代わりには十銭の祝儀までも私有する事はできません。ことに三都と違いまして、数のきまった青楼ですから好人と潜り込んで取る遣るなしの真猫遊びと云う様な意気筋な場所もありませず、その上お客は皆、石部金吉で金鎖を襟から掛けたまう旦那方ですから、心底からおぼれると云う様な不体裁はできませんのでございます。そこでこの国太郎お粂の一件も都会のすれっからし(否)通人のお目からは実に意気地(いくじ)のない事に思召しましょうが、そこが薄情でない験(しるし)で、女はただ男まかせ、すこしも活発の挙動のない所がこの時代、新潟の風俗でございますから、花柳社会の情事とせず、ほんの地色とみのがしたまえ。
151 さて二人は小石を拾い袂(たもと)に入れまして、南無阿弥陀仏と云いながら既に飛び込まんと致しました。後ろから帯際を取って
男「待ちなさい。」と声を掛け止めましたのは別人でもございません。新飯田惣七でございます。
惣「まぁまぁ待った。何処の人かは知らないがさっきから何だか様子が怪しいから木陰に立ち聴きしていたのだ。まぁまぁ待ちなさい。」と言えば
国「何方様かは知らないが、生きていられぬ私等二人。」
粂「どうそ放して殺して下さい。」
惣「いいや放さぬ。自己は新飯田惣七と云う者だが、何様な事から知らないが事によったらおめぇ方の話に乗るまい者でもない。まぁまぁ二人とも心を静めなさい。」と無理に止め、お粂の顔を見て吃驚(びっくり)
惣「お前はお粂じゃないか。」
粂「貴君は親分さん。」
惣「どう云う訳でおぬし達は死のうと云うのだい。話して聞かしておくんなせい。」
152 国「御尋に預かりまして面目次第もございません。私は大野町の穀物渡世亀田屋幸兵衛と申しまする者の倅(せがれ)国太郎と申す者、このお粂と夫婦になろうと思いまするが、親父がなかなか堅固人ゆえ、どうしても添わしてくれません。それ故に死ぬと覚悟を致しました。」
惣「そりゃ飛んでもない。了見違いだ。それしきの事に大切な命を捨てようと云うは馬鹿馬鹿しい。そんなら何かい。このお粂さんとおまえさんが夫婦になれさえすれば死ななくってもいいのかい。」
国「夫婦にさえなれれば別に死ぬにも及びません。」
粂「実は死にたくありませんが、添われないから死のうと云うのでございます。」
惣「しかし人間はそこを行くのが本当だ。自己の様になってしまっちゃ犬も喰わねぇ。それじゃこれからお前達を親父さんの処へ連れて行き、理を非に曲げても添わして上げよう。」
と二人を連れて大野へ参りましたのはその夜の九つ頃でございました。惣七は亀田屋の門口へ参りまして戸を叩き
惣「御免なさい。ちょいと開けてお貰い申したい。」
幸「何方でございますか。商売は夜分は致しません。」
153 惣「いゃ買い物に来たのじゃございません。この方の御子息国太郎さんの事について参りました。」
と云うから主人が戸を開けまして、ともかくも惣七を上げ、茶杯を出してもてなしました。
惣「私は新飯田惣七と云う者でございます。貴方が旦那でいらっしゃいますか。」
幸「はい私が主人でございます。」
惣「他の事じゃございませんが。」とこれより平島にて国太郎お粂の両人が身を投げようとするを止めた事から是非とも夫婦になりたいと言い立てる一部始終聞いたままを物語りまして
惣「もし旦那様、御無理でもございましょうがどうぞ夫婦にして上げておくんなさい。見ず知らずの惣七が頭をさげてお願い申します。」と聞いて幸兵衛は心の中に驚きまして
幸「いやはや如何も有難うございました。決して夫婦にはさせられません奴ではございますが、親方のお顔もあり、死のうとまでに思い詰たる二人ゆえ、添わせる事に致しましょう。」
154 惣「その御一言は千両万両の金円をもらったより有難うございます。」
と入口にたたずんで様子をうかがう二人を連れて来まして
惣「二人ともにお聴きなさい。親父さんが承知して夫婦にして遣ろうとおっしゃるから悦びなさい。これから末は夫婦仲良く親父さんを大切にしなさるがいい。」
と聴いて二人は夢かとばかり手を合わせて惣七を拝みました。惣七も心嬉しく色々止めまするを断って、そのまま新飯田へ立ち帰りましたが、何分急場の事ゆえ、国太郎の一件を木山治六に挨拶を致す事を心つきませんでしたから、これが惣七治六遺恨を結ぶはじまりでございますが、この後は明晩申し上げます
大野町=蒲原郡大野町(現:新潟市西区大野)
平島(へいじま)=(現:新潟市西区平島)
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