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義侠の惣七
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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第1席

惣七の父・長兵衛の伝記1

7 さて高聴に達まするお噺し(おはなし)は表題を仇討義侠の惣七と申しまして越後国蒲原郡新飯田村の侠客(きょうかく)惣七の実伝でござりますが 結局に至りまして文政九年の冬、本所千間原と言う所で仇討に相成る勇ましいお噺でござります。 今晩より両三席の間は惣七の父長兵衛の伝記を伺います。さてこの長兵衛と申しなる者は早くに両親に別れ、 仔細あって家出を致しまして諸所を彷い廻った末に奥州三春の城主秋田安房守様の御藩中で知行弐百五拾石を領しておる松江右膳と申す武家へ仲間奉公を致しました。
8 その同仲間に新平と言う者がありまして、長兵衛と至って中よく兄弟同様にして朝夕表裏なく共々忠勤を励んておりました。 主人の松江右膳と言う人は至って堅固い性質で、木は木、金は金と言う正直な人でございますが、妻には早く死別れ、 男女二人の子が有まして惣領を右一郎 妹をおすまと申しますが、このおすまは余程の美人で家中評判の娘で有りました。 ここに同家中に清見得四郎と申して百二十石を取る荘士が有りましたが、この人は甚はだしい好色家でござりまして、 平々松江の娘おすまに想いを懸て居りましたが、何分祿高も違いますし、 そのうえおすまは父に似て石部金吉と言う堅人でござりますから、滅多な事も言われず独り思いを焦しておりますと、 これも同家中に駒木金十郎と申して知行は僅か(わずか)七十石位で極口軽なちょっと幇間らしい人物が有りますが、毎度清見の世話になって居るから、 時々ご機嫌伺いに参ります。
9 今日も幸い非番だからと清見の邸へ参りまして、
金「はい御免よ。清見様はお宅かな。」
得「いよ、これは駒木氏、さあ先づこっちへ。」
金「今日は御非番でござるか。」
得「うー今日は非番で誠に徒然で困却ていた処だ。まぁ茶を入れるからゆっくり遊び玉へ。」
金「いや毎度お邪魔ばかりして済んな。」
得「なあーに、拙者は独身者だから別段に邪魔に成るような事ぁないわな。」
金「おっ、恨みッぽい事を言うな。ははは。時に先日お話の一件は」
得「いや、その儀について、おまえに相談があるが兼て拙者が想いを懸い松江の娘をなんと媒人を致してはくれまいか。もっとも多額のお礼は出来んが首尾よく成就致せば二十金差上よう。一つ御尽力を願いとてなぁ。」
金「ええ、なに、あの二十両拙者に、あの二十、宜しい承知致した、有・・・拙者も御存じの通り貧的だから、この頃それ城下の伊勢六方へ・・・刀を沈みに掛て一時の急場を凌ぎは凌いだがね、その取戻の金・・昨今困却中だて、なにほんの元利共、八両余だが幸い貴殿のお【すま】で返済が出来りやぁ実に有難い。」
10 得「底で松江はうんと承知を【致す】だろうが。」
金「いやその儀は決して心配仕玉うな。万事拙者がグ・・呑込み、例の布婁那(ふるな)まさりの弁舌を揮って甘く周旋致すから、最・・が九つ出来るものと御安心下さい。拙者がお引請申す。しかればこれより直に先方へ参り、いずれ吉左右の後刻までにお知らせ申そう。」
得「そんなら駒木、貴公へ何分お頼申すぜ。」
金「宜しい心得た。」と清見の邸を飛出しまして松江右膳の玄関へ参り
金「お頼み申す。」 「ドーレ。」と出て来たのは右膳の長男右一郎でござります。
右一「イャこれは駒木氏、何か御用で。」
金「いよう。これは右一郎様、その後は誠に御疎音貴殿のお取次では甚はだ恐縮がお父上へちょっとお拝顔を願い度が御在宅へすか。」
右一「幸い宅に居ますから申聴ましょう暫時おひかえ下さい。」と右一郎右膳の居間へ参りまして
右一「お父上唯今駒木が参ってお目通を致したいと申居ります。」
11 右「なに駒木が来た。左様か直こっちへ通して面て茶と煙草盆を出しな。」
右「これは駒木か。さあさあこっちへ。それではいかん。スットお先へ。」
金「ヘイ、エーその後は誠に存外の御疎音、先日は種々御馳走に相成ちょっとお礼にあがるはずの処、かれこれ御用多の為め遂々失礼を致して誠にどうも。」
右「いやその節ぁ失礼しました。さて拙者への用向きというのは何事でござるぁ。」
金「早速申上ますが余の儀でもありません。御当家のお嬢様はもはや他方へ御縁組に相成ましたか。如何でございますな。」
右「ム、すまの事かえ。いや彼も御承知の通り今年は十七才に相成から相応の処へ結縁る積りだが未だ別に何方へも相談は致さんて」
金「それは重畳実は、そのお嬢様を是非共に申請たいからお話説申してくれいと言う人がございますが如何でしょう。御相談になりましょうか。」
右「然ばさ是非他家へ結縁なければ相成ぬ。彼様な不束者(ふつつかもの)でも娘を欲しいと仰しゃるはかたじけないが、して誰殿でござるな。」
12 金「へー、なに、其、でげすてなー」 右「何方のお方で。」
金「ヘイそれは其、でげすがなぁー。なにさ貴老大抵御存でござりましょう。」
右「いや拙者は一向心当がないが、何方の誰殿だか話なさい。」
金「然らば是非に及ばん断念って申上ようかナ。実はその清へイなに、その清見得四郎殿でござるが、拙者に是非共周旅を頼むと言われるので、よんどころなく推参致した次第でござる。なんと御承知下さるとは出来ますまいか。」
右「ハ、左様か清見氏か。成程いや思召(おぼしめし)は忝じけないが、是りゃ先ずお断り申そう。」
金「ヘー成程好ませんかな。実は御知行が違いますからきっと左様来るなにお出なさるだろうと思って居りました。」
右「コレサ駒木、禄高身格の事などをかれこれ申す松江右膳ではござらん。よしんば足軽仲間でも拙者が鑑定に叶った人物ならば随分遣いはせんものでもないが、清見ては右膳の娘を遣わす訳には参らんわい。」
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15 を豪むり居る拙者だから、一命に懸けても御尽力は致しましょうが、全体如何いう事を為さる思召してござるな。」
得「然ればさ、今となっては手緩い対談杯では追っかないから是非に及ばん・・・・・て強姦を致す丁簡だが、朋友の信義助力をしてくれぇ玉へ」
金「・・・んですと強姦、あの強、いやこれはまっぴら御免をこうむるほか、仲人はともかくも強姦の手伝いは誠に慣れんからなぁ。」
得「いや、・・・・・・・刻の二十金をお礼にとるし、その上、拙者が一番槍をくれれば二番槍を貴公に任せるわな。」
金「なに、あの二十両に二【番槍を任せる成】程宜しい。如何にもお手伝い申そう。」
得「いや早速・・・・・・」
への手文庫の中から金子を出しまして
得「・・・・・・・・・受納してくれ。」
金「これは恐縮、なるほど二十金、既で・・・なる所だった有難い。たしかに頂戴いたした。して・・・」
得「いやその儀については妙計がある。」と・・・・・・・
16 得「・・・・・・・・・・己の下郎源蔵は平常、松江の仲間長兵衛・・・・・・に致して居るからあいつを探偵に遣って・・・・・・・せ途中に於いて引き捕らえ本望を達する所存だて・・・・・・至極好い計略でござる。しからばそのつもりに。」
と互い・・・・・・て駒木金十郎は踊りました。さて清見得四郎は・・・・・少々の金子を与えて密かに言い付けましたから・・・・・ますから宜しうございますと呑み込んで、それから毎【日松江右膳の所】へ参っておすまの様子を密々偵っていましたが、・・・・・ではあり、ことに右膳は厳重な人でございますから・・・・・・へ出す様な事はございません。清見も困っていました・・・・・事、源蔵は例の通り、松江の仲間部屋へ参りまして
源「おお長兵衛さん、今日は。」
長「おや源蔵かえ。さあこっちへ上りなさい。」
源「御免よ、いや如何も毎日出て来て手を止めるが、実はね、他に友達も無いもんだからついこっちへばかり来て済まないねぇ。時に新平さんは如何したな。」
17 長「お嬢様のお伴をして出たが、もう今に帰るだろう。まあゆっくり談話なさい。お茶を入れるから。」
源「構いなさんな。それじゃあ、お嬢様ぁ、今日は何方へいらっしゃたんかえ。」
長「うむ、御城下の八幡屋でね、何御祝事とかが在と言うので、お出なすったんだ。」
源「八幡屋と言うのな。」
長「そら、お前も知ってる人すよ。」
源「うむ、左様か。」
長「実はね、若旦那様をお招き申したんだが、少々御風邪気だと言うので、お嬢様が御名代にお出なすったのさ。」
と元より正直の長兵衛でございますから何の気なしに話をしております処へ新平が帰って参りました。
長「新平、帰ったのか。大きに御苦労だった。」
新「おや源蔵、よく来なすった。時に長兵衛、誠にすまんが、実は自己がお迎いに行くはずだが、如何も一杯飲んだ故か頭痛がして困るから、お前御苦労でも自己の代りにお嬢様のお迎いに行ってくれんねぇな。」
長「むむ、いいとも。面して何時頃行くのだ。」
18 新「日が暮れてからお帰りだから、夕方から行ってくれねぇ。」と両個(あたり)が話を聴いていた。
源蔵は腹の中で、しめたわい、と喜びながらわざと素知らぬ顔色をしまして
源「時にその両人や、平常間柄が善くってうらやましいよ。それにこの方の旦那様は温順お方だから万事お気をつけて下さるが、自己の内の旦那さぁ独身者ではあり、それに年が若いから思いやりと言うぁ事、夢にせえ見た事がぁないと言う代物だから、ほんとに勤めにくいやぁな。だが主人となり家来となるのぁこれも何かの因縁だろうと言った様なもんだから、断念(あきらめ)ているのさ。」
長「そりゃそうと源蔵さん、おまえの故郷は信州だと言う事だが、どの辺だね。」
源「丹波島さ。」
長「そうかえ。自己は越後の三條新飯田村と言う所のもんだが、それじゃ隣国だね。」
源「新平さんはたしか上州だっけね。」
新「上州の吉井さ。」
源「こりゃ妙だねぇ長兵衛上州越後と言いや、皆なその隣国の者が三人揃うと言うのは随分不思議な事さ。」
19 新「これからはお互いに間を宜しくしましょうね。」と四方山の話に紛らかし、わざと長居をして源蔵清見の邸宅へ帰ってきました。
源「旦那様、只今。」
清「源蔵か、大層遅かったな。そうして首尾は如何だ。」
源「旦那様、お喜びなさいまし。ようよう時節が来ました。」
清「うむ、おすまめが何処へ行ったか。」
源「御城下の八幡屋へお出になって日が暮れてからお帰りになるそうで。」
清「なに城下の八幡屋へ参った、うむ左様か。大きに苦労だ。これは少々だがこずかいにしろ。」と
懐中より金子を一両出して源蔵に与え、これから右の次第を手紙に認め(したため)まして
清「こりゃ源蔵、これをな、駒木方へ持参致して、至急面談を得たい儀があるから早速お出下さる様にと申してな。宜しいか。大切な書簡だから手渡しに致して参れよ。宜しいか気をつけてな。」
源「へいかしこまりました。」と源蔵は急いで駒木の邸宅へ参りました。
さてこの後は如何言う事になりましょうか。第二席に申し上げます。

秋田安房守肥季(あきた ともすえ)

1810年(文化5年)〜1865年(慶応1年)
陸奥国三春藩 第10代藩主(福島県旧三春町)

地名の解説

本所とは、新潟市東区本所の事で、阿賀野川と接する。
千間原(せんげんはら)は、河原の地域の名前。
三条在とは、新潟弁で田舎者を“ざいごもん”と呼びます。
在郷者の事で、三条の“ざいご”にあった新飯田村と言う意味です。
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