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義侠の惣七
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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第9席

惣七の高野宮村の大喧嘩

99 高野宮村 ひき続いて申しあげますが、ころに新飯田の隣村に高野宮と言うが有りまして、その村の新光寺と申すお寺に於きまして、毎年八月十二日に流灌頂(ながれかんちょう)と申して無縁招霊の為に大旋餓鬼(たいせがき)がございます。その砌(みぎり)には、近郷近在の男女先を争うて出ます誠に賑やかな祭でございます。この時、原中の掛け小屋の酒屋に呑んで居ました隣の六分村茂十郎と申す者でございましたが五六人の友達を・・・
100 新光寺茂「これ、おめえ達は何と思うか知らねえが、この高野宮は自己の村も同じだが新光寺の旋餓鬼と言うや、毎年この踊り人が出るが左様言っちゃ自慢らしいが、このかいわいで祭りだあ、盆だあ、と言ったってこんなに人の出る事あ有るめえ。憚り(はばかり)ながら
甲「そうとも、茂十郎の言う通り、江戸だってこんな事あ有りゃしねえ。」
乙「これが人間だからいいけれども、犬なら噛み合って喧しい(やかましい)事だろーあ。」
茂「馬鹿べえ言ってるだあ。」 皆々「あはは。」と話をしておりますと、向うより参りましたのは針ヶ曽根五十嵐藤右衛門で、これは惣七の元主人でございます。その時十九に成りまする娘おちかと言うを連れ、その後ろから白根町の呉服渡世を致す勇次郎と申すこのおちかの婿(むこ)と三人連れで参りまするのを酒屋に飲んでいましたる一人が見掛け
甲「茂十郎見ろ、向うから来るのは針ヶ曽根五十嵐藤右衛門が娘を連れて参詣したと見える。」
101 乙「やあ、たしか茂十郎どん、おめえが女房に貰う(もらう)と言ったんでごあんすな。」
茂「なるほど左様だ。己もあの五十嵐とは死んだお母と何分か引張合った中だ。それゆえ己があのおちかを貰いたいと人をやって掛合ったが、あの薬鑵親爺(やっかんじじい)がじゃじゃ張って、あの後ろから来る白根町の呉服屋で勇次郎と言う奴に約束したから駄目だと言って断りやがった。後で聞きや、あのおちか勇次郎に大変に惚れてると言うた、なんとまあ忌々しい事ではねえか。此処へ来たこそ幸いこの酒屋へ呼び込んで弾ぶされた意趣晴らしをしようと思うが、皆も手伝ってくれめえか。」
甲乙「いいとも、おめえに酒を御馳走に逢っていやとも言われめえ。」
茂「そんなら頼む。」と待って居ります処へ藤右衛門親子は斬る事があろうとは露知らず来懸りまするを茂十郎声を掛けまして
茂「其処へ行くのは針ヶ曽根の五十嵐さんじゃござんせんか。」
藤「これは、六分の茂十郎さん、参詣かな。」
102 新光寺山門 茂「まあ此処へ入って休息でいきなせえ。」
藤「いや有難いが私あ連れが有りますから一足お先へ。」
茂「まあ待たっしゃい。何にもねえが一つ呑んで下さい。」と無理に猪口(ちょこ)を差しまする藤右衛門、詮方(せんかた)なく腰を掛けながら
藤「これ勇次郎どんもおちかも此処へ来て御挨拶をしろ。」
勇「これは初めてお目に掛ります。私は勇次郎と申しまして不調法者、以後はお心易く願います。」
茂「はあ、あんたが勇次郎さんか、私あ茂十郎と言う六分村の名代者でごあんす。お近附きに一つ上げやしょう。」
勇「有難う、頂戴致します。」
茂「呑んだら私にくれなせえ。おまえの色男に真似る様にお盃(さかずき)でも頂きやしょう。そうしたら、ちっとあ女が惚れるだろう。皆、そうじゃねえか。」
甲「そうとも、己もその余りの盃が頂きてえ。」
と言う中、茂十郎は有合う丼(どんぶり)を取り勇次郎に指しながら、
茂「これで一つ上げやしょう。」
勇「有難うはございますが御酒は誠に不調法で。」
茂「なんだ酒が嫌いだ。おちかさんに酌でもさしたら呑めるだろうが、たまにや己が酌で呑んでくらっせえ。」と言いながら
103 丼に酒をつぎ、勇次郎を目掛けて投げ付けました。勇次郎はザップリ頭から酒を浴び
勇「これは何をなさる。」
茂「なんにもしねえ。阿主(おぬし)に酒を呑ませるのだ。」
甲「そうとも。口へ呑ませるのは勿体(もったい)ねえから、茂十郎兄が頭から呑ましたんだ。」
藤右衛門は見兼ねて割って入り
藤「茂十郎兄、何が腹が立つか知らねえが、これは私の娘の婿でござる。何故理不尽な事をさっしゃる。」
茂「したがどうした総体手前たち親子の者が気に入らないのだ。酒を掛けるは愚かな事。愚頭愚頭(ぐずぐず)吐か(つか)しゃ斬してやる。」
と突然勇次郎を突き倒しました。すると大勢の参詣人がそれ喧嘩だと言うと、居合したる五六人が拍手に乗って藤右衛門勇次郎に打ってかかる。この新飯田の若者七人始終を聴いて居りましたが中へ入り
若「まあどう言う訳か知らねえが、双方とも勘弁をしなさい。」
茂「いや勘弁はならねえ。其処を退いてくれ。」
若者「こりゃ針ヶ曽根の藤右衛門殿だが、何が意恨で勘弁が出来ねえのだ。己達も新飯田の者、川一つ隔ったって一ツ村も同じとだ。その若者が七八人中へ入って口を利くのだから何ぢ任してくんなさい。」
104 茂「たとえ新飯田の者たって村内の者たって任すとあ出来ねえ。」
若者「それじゃ如何でも任されねえか任されなけりゃ宜りゃこれから己が敵手だ。如何ともしろ。」
茂「いや面白い。野郎共、打畳んでしまえ。」と一同ぶって掛りました。
この時新飯田の者も同じく打合い大騒ぎになり、混雑をしまする折から新飯田村の若者も多人数参詣に来ておりまするから、今新飯田の者と六分村との喧嘩でございまするから
新飯田の者を助けろと集まりました人数は、凡そ五六十人でございました。こっちは六分村高野宮村の若者が一組になり、新飯田の者を皆殺しにしろと総掛りに掛ります新飯田の者も今は一生懸命に敵合て居ります。
105 その中へ、年の頃五十二三になる男が衣装を見ますると、手織木綿の着物に茶の穀餅の紋付の紋の大きさはニ寸七八分、衿(えり)の中は三寸五分、長さは一尺六七寸でお辞儀をすると背中の真中頃へ裾(すそ)の来そうな短い羽織を着て出て参りました。この仁は、六分村の庄屋で太次右衛門と申す村中の口利でございます。ぶち合って居りますその中へ分け入り、ニ言三言仲裁口も利きましたが、何を言うにも大勢の中でございますから聞者が有りません。太次右衛門も果ては怒って羽織を脱捨て向う鉢巻(はちまき)を致しまして先へ立ち
太「新飯田の若者は一人も脱すな。皆殺しにしろ。三方村の渡し舟を草く止めろ。新飯田の奴等が加勢に来るかも知れねえから早くしろ。」
と怒鳴りますると、ニ三人の若い者が人を掻き分け一散に走り付いて三方村の渡し舟を止めました。尤もこの渡し舟を止められますると新飯田から来る事が出来ません。その時新飯田の若い者一人切抜け村へ立ち帰りました。この際、惣七は宅に居て一人酒を飲んで居ました処へ、息を切って駆込み
106 若者「惣七兄ィ、大変だ。」
惣「びっくりした。大変とは何が大変だ。そうして人の内へ草履(ぞうり)ばきで上る奴がある者か。」
若者「周章(あわ)喰っちゃいけない。」
惣「手前が周章(あわ)喰っているんだ。して大変とは何だ。」
若者「何しろ水一杯くんねえか。」と一口水を呑み、ホッと息を吐きまして
若者「今日兄ィも知っている通り新光寺の大旋餓鬼(たいせがき)、村の者も大勢参詣に行った処、原中の茶屋で六分村茂十郎、その外大勢が酒を飲んでいた処へ、針ヶ曽根の阿兄の御主人五十嵐藤右衛門さんが娘のおちかさんと白根の婿殿を連れて来懸るのを呼び込んで酒を勧めて喧嘩を吹っ掛け、その上に藤右衛門さんを始め、勇次郎さんまで散々打ん殴っているから、村の者が中へ入り色々口を利いたが相手が酔ってるから訳らねえで口を利いた者に打って掛ったが初まりで、それから大喧嘩になった所へ六分村太次右衛門が来て、新飯田の者を皆殺しにしろと言って指図をするから、新飯田の方はもう半死半生だ。早く兄き行ってくんねえ。」
107 惣「そりゃ真実か。」 若者「真実処じゃない。打ち合ってる最中だ。」と聞いて、惣七立ち上り
惣「針ヶ曽根の旦那から事が起ってその者が喧嘩をしたと有るから、瞬間の間も猶予はならない。直・に高野宮へ駈け付け御主人初め村の衆を助けにゃならない。」
と手疾く支度に及びました。惣七は元来、力は五人力に劣らず殊に天性剛気の壮夫奈何でか猶予のございましょう。銅金造りの長物を打ち込み、有り合う手拭(てぬぐい)をもって鉢巻を致し、尻をひっからげて一散に川端まで駆け付けました。来て見ると、三方村の渡し舟が止って居りますから向うを見ると砂煙を立て打ち合いの真最中。惣七見るより声を上げ
惣「舟を出せ。舟人。舟を出せ。」と申しましても庄屋が止めましたのでございますから
舟を出しません。惣七焦燥て自段駄を踏み
惣「さては渡し舟を止めたのだな。丈の知れたこの川泳ぎ越して六分の奴等を皆殺しにしてくれん。」
108 とやがて着物を脱ぎ捨て、手早く大刀を引き抜き口に喰え、前なる川へザンブと飛び込みますと見る見る中に水煙を蹴っ立てて抜き手を切って泳ぎまする有様は、肉厚く骨太き大男が髪は振り乱して顋(あご)にかかり、ちょうど浪狸白跳張順が黒旋風季達を水底に苦しめました時の勢いの様で有りました。難なく向うの岸へ泳ぎ着きまして、一息吐いて大刀を振り翳し(かざし)
惣「六分の奴等、よ〜く聞け。新飯田村惣七が出て来たからは一人も残らずこの世の引導を渡してやる。」
と群集の中へ飛び入りまして当るを幸い切り立てまする。その勢いに辟易(へきえき)して敵方は次第次第に後へ下る処へ庄屋の太次右衛門惣七目懸けて切って掛りますると惣七は心得たりと渡り合い、暫時火花を散して戦いましたが、太次右衛門は処々に手疵(きず)を負い、叶わぬと思いましたか隙を見て逃げ出しました。この時若い者一同声を上げ、惣七を討ち取れ、に言いながら小石あるいは薪(まき)を投げ付けるを惣七は事ともせず、腕と目釘のつづく迄と荒れ廻り、遂々大勢を追い散らしまして
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地名の解説

高野宮村=旧西蒲原郡中之口村高野宮(こうのみや)
六分村=旧西蒲原郡中之口村六分(ろくぶ)
針ヶ曽根村=旧西蒲原郡中之口村針ヶ曽根(はりがそね)
三方村=旧西蒲原郡中之口村にあった集落名で、蒲原郡高野宮村三方(さんぼう)
新飯田村の惣七邸の近くから渡し舟がありました。
新飯田の惣七邸から堤防に上ると、中ノ口川の対岸が正に新光寺。
当時は大きい建物もないので良く見えたと思います。
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