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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第2席

惣七の父・長兵衛の伝記2

20 引続いて伺いますに松江右膳の娘おすまは途中に待伏をする者ありとは神ならぬ身の知る由も有ませんから、城下の八幡屋で色々馳走になり、迎えに参った長兵衛と共に城下を出ましたは初夏少々過でございましたが、城下より御城内へ行きまする路に庚申塚と云う五町ばかりの原がございます。只今おすま長兵衛の二人はこの原へ掛かりますると、頃しも神無月の始めでございますから、朧(おぼろ)月夜でポツリと小雨が降て参りました。その時提灯を持て先へ立た長兵衛
長「えー意地の悪いもう少しにて降て来た時雨空と云う者は当にならねぇもんだ。モシお嬢様流雲でございますから大した事もありますまいチト急いで参りましょう。」
すま「私は合羽を着て居るからよいがお前提灯を消さない様に気をお付けよ。」
21 長「よろしうございます」と主従が急ぎ足に丁度今原の中程の庚申塚の辺りへ参りますると、兼て霄(そら)から待ち設けたる清見得四郎 駒木金十郎の両人は覆面頭巾に面体を隠し、身軽な打扮にて只今長兵衛が心せくまま小石につまずきヒヨロとよろける所を小陰より飛び出したる金十郎が突然提灯を斜に斬て落しましたから、これはと驚き後へ一足下った所を肩に引掛投出しましたから長兵衛はウンと気絶を致しました。その時おすまはアレ長兵衛如何おしたと駈け寄りまする所を清見得四郎が飛出し、驚くおすまを小脇に抱えて片方の小陰へ入りましたからおすまは一生懸命振り放さんと致しましたが、何分か弱き女の力「アレー狼籍者人殺し。」と悲鳴を上て泣き叫びましたが昼さえ人足遠き庚申塚殊に雨天の夜で有りましたから誰一人往来する者とてはなく只木梢を鳴す風の音のみでございます。
22 続いて金十郎も駈け来たり無残にも両人にて悶苦しむおすまの手足を捕へ遂にあるまじき所業に及びました。開けぬ世とは申しながら実に憎む可仕業でございます。さて松江右膳の方では右一郎は昼から頭痛がすると云うので間居に閉籠って居まするから右膳一人机に向って書物を見て居ましたが、雨も大降になって余り娘の帰りが遅ふございますから
右「新平はおらぬか。」「旦那様何か御用でございますか。」
右「外の事でもないが余りすまの帰りが遅いし大分雨も降って参った様だから、そなた大儀ながら城下の八幡屋まで迎えへに参っておくれ。」
新平「よろしうございます。直に参ります。」とこれから新平は夫々雨具の用意を致して提灯を提さげ早足に参りますると丁度今御城内を出まして庚申塚の原へ来掛りまするに遙か向うに「アレー」と女の泣声が聞こえますから、何事やらんと駈付て見ますると二人の男が一人の女を捕へて言語同断の有様でございますから
23 思わず透見ると粉方なくお嬢様で有りますから
新平「己 曲者(くせもの)。」と云うも敢ず(あえず)持たる傘にて乗かかったる男の頭をしたたかになぐりました。清見得四郎は不意を撃れてコリャ大変と云ふより早く一目散に逃げ出しました。跡には駒木金十郎がこれから拙者が二番槍と這い出す所を思懸なくこいつもポッカリと新平に撃られましたから同じく逃げ去ました。新平は泣入るおすまを介抱しながら
新平「もしお嬢様 気をたしかにお持遊せ。新平奴でござります。」
すま「新平か遅かった。」
新「して長兵衛は如何致しました。」と問いますれど、おすまは更に詞(ことば)もなく只泣いてばかりおりますから新平は、あっちこっちを見ますると道の傍辺に長兵衛が倒れていますから抱き起して呼生まするとようようの事で息を吹き返し
長「新平か、お嬢様は如何なさった。」
新「いや実は斯様(かよう)だ。」と話しましたから長兵衛はびっくりして
長「それではあの強姦、あの強、誠にくやしい事をしたなぁ。」と三人は顔を合わせて更に言うべき言葉もなく
24 長「さぁお嬢様、新平はともかくも私はおるから、お供をしながら言いがいない始末で面目次第もございません。その上あいてを取り逃がし、旦那様へ何と申し訳を致しましょう。実に顔の方向がございません。」
新「いや自己もその場へ駆けつけてそう云う事になってみりゃ咎(とが)は同事じゃ。しかしここにこうやっていた処か。仕方がないから一足も早くお供をしてお邸へ帰った上、旦那様にお詫びを致そう。」
と泣き倒れておりますおすまを種々慰めまして、主従三人悄然として松江の邸宅へ帰って参りました。
右「おおおすまか、大層遅かったな。」
と娘の様子を見ますると髪はくずれ衣類は泥まみれで泣涙でおりますから右膳の不審に思いまして
右「これすま、如何致したか。これさ泣いていてはわからん。これすま。」
すま「はい、くわしくは只今、途中で狼籍者に。」
長「その仔細は下郎から申し上げましょう。」
右「おお長兵衛、如何致したのだ。」
25 長「いゃ誠に面目次第もございませんが、実はお嬢様のお伴うを致しまして庚申塚の原へ掛りますと何者とも知れませず、下郎の持ちました提灯を切り落とし、矢庭に自己を投げつけましたから、そのまま気絶を致しまして、前後をわきまえませなんだ所へ新平が参ってこの様。」
と強姦の次第を申しましたから右膳はびっくり致し
右「なに、そんならすまは肌身を汚されたか。」
すま「はい。」とばかり他だ泣き伏しておりまする。
右「して何者か相わからんか。」
新「雨天ではありますし、ことに面体をかくしておりましたから、一向わかりませんが二人の奴の逃げ出しました。
跡に、かような手紙が落ちてございました。」
右「うむ左様か。」と急いで開いて見ますると、清見得四郎から駒木金十郎へ贈った書簡でございます。その文言は松江の娘すま事、今日城下の人入渡世八幡屋へ参り候間、かねがね約束の通り庚申塚の辺に待ち伏せ、本懐を遂げ申すべく伝々と記してありますから
26 右「さては敵手は清見駒木の両人に相違いないな。なぜ三人まで伴をしながら曲者(くせもの)を取り逃がした。うろたえ者めが。」
長「誠に申し訳がございません。大切なお伴を致しながらかような事に相なり、手をむなしく曲者を取り逃がしまして、お腹立ちの程恐れ入り奉ります。」
新「ただこの上は旦那様の御無念の晴れるため、下郎両人をお手打ちになし下さいまする様にお願い申し上げます。」
右「如何にもその方がこの度の不調法、手打ちに致すのは武家の作法ではあり、しかしその方両人の首を斬ったればとて、娘子の恥辱が雪げる(すすげる)と云う訳でもないから、両人ともこれより長の暇を遣わす。これを路用に致して、ちっとも早く邸宅を立ちのぞく様致し、手間取って他人の口の歯に懸らば、よんどころなく活きてはおれぬぞ。」
と文庫から金子を出して両人に与えました。
新、長「はいへい。有難く存じます。今に始めぬ旦那様の御厚恩、重ね重ねの不届きを一命をお助け下されたこの上に、路用まで頂戴致しまして御恩の程は死んでも忘れは致しませぬ。」
27 と二人は厚き情けを謝しまして自分の部屋へ参り、それぞれ旅の用意を致し、改めて再び右膳の居間へ参りまして、
「只今の御語に従いまして直に出立致します。御縁があれば又重ねてお目通りを致します。先それまでは随分共にお身を大切に遊ばして」
と両人共に涙に暮れ、暇迄をして住み慣れた松江の邸宅を出まして、城下の人入り渡世八幡屋方へ引き取りました。さて松江右膳は黙然と致して手を組みしばらく考えておりましたが、傍に泣いているおすまの顔をつくずくと見まして眼をしばたたき
右「これおすま、よく合点せよ。たとえ町人百姓の娘でも肌身を人に汚されてはおめおめと捨ておく訳には参らんぞ。ましてや弐百五拾石も頂戴する武士の娘が強姦を致され、そのままに打ち捨ておく時は、父右膳の武士道が廃れる(すたれる)ばかりか、松江の家名が相立たん。武門の意地、是非に及ばぬ不敏ながらこりゃおすま、そなたの一命は父がもらったぞ。」
すま「おっしゃるまでもございません。武士の娘が肌身を汚され、何面目に永生ていられましょう。元より覚悟を致しております。少しも早く私の首をお斬り遊ばして武家の娘と誉められる様にして下さいませ。」
28 右「おおよく云うた。それでこそ松江右膳が娘、あっぱれ。いさぎがよいその覚悟。しかし右膳三春の一藩士なれば、必ずそなたは犬死はさせぬ。直様仇清見駒木の両人を討ち果たし、怨みは晴らして遣わすぞ。」
すま「さぁお父上ちっとも早く。」
右「おお云うや及ぶ。」と大刀ひつさげて立ち上りましたが、思い出せば十二の年母に別れて、その後は我一つで育てあげ、人並々に成長させ相応な所もあらば縁結て早く初孫の顔を見んと楽しみも今となっては空頼み、日頃磨きし我が武芸、娘子を斬って試すかと思えばはかなき親子の不幸とさすが鉄石心の右膳も不覚の涙に暮れましたが、再び心を取り直して是非に及ばぬ時刻が延びては不覚の基、娘覚悟を致せと涙ならにおすまの後ろへ廻り、エイと掛けたる声と共にコロリと首は前に落ちまする。
29 とたんに間の襖(ふすま)を開いて駆け出した長男右一郎は、この体を見て驚きながら
右一「こりゃお父上、妹をお手打ちに。」
右「うむ長男か、様子は定めて聞いたであろう。生けおいては松江家の武道が立たんから是非は及ばず手打ちに致して。」
右一「ごもっともではござりますれど余りと云えば不敏の最後。」
右「今更云うても返らぬ繰言(くりごと)、それより娘の怨みを晴らすが専一、これより清見方へこの首を持参なし、松江右膳の武士道を相立て、おすまの仇を討たなければ相ならぬ。」
おすまが首を風呂敷に包み出ようとする袴(はかま)の裾をおさえ
右一「私も御一緒に御伴を致し妹が当の敵を。」
右「何を申す。たかが知れたる清見駒木右膳一人で事は足りる。」
右一「でもござりましょうが。」
右「いや何時上の御用があるかもはかられねば、その方は跡に残って不都合なき様取りはからえ。」
右一「それじゃと申して。」
右「たって申すは上の御用を麁略(そりゃく)に致すか。不届き者め。」
右一「あーあ是非に及ばず。」と二言と返す詞もなく右一郎は差しひかえる。これより右膳は娘の首を堤げ、清見の家敷へ参りました。
30 お話変って清見の宅では得四郎は先へ帰って
得「門戸を開け。」
源「お帰りでございますか。首尾は如何でございます。」
得「首尾は上首尾だが駒木はまだ参らんか。」
源「まだお出はございません。」
得「はてな如何致したか。」知らんと話をしておりまする所へ息を絶えて駒木金十郎
金「源蔵清見氏はお帰りか。」
源「只今お帰りになりました。」
金「然らば御免よ、奥へ通る。」
金「やぁ先生、よく大望をお遂げだったなぁ。自分はとんだ目に逢った。よくそれでも早くお逃げだったねぇ。」
得「いや己での事に危ない所だった。お身もよく早く逃げたねぇ。」
金「一体何者だろう。」
得「何者か知らんが突然に傘で打たれたから大きに肝を潰した。」
金「しかし貴君は思いをお晴らしなすったからよろしいが、拙者はつまらんなぁ。」
31 得「時に我々の仕業とは知れやせまいか。」
金「必ず分る気遣いなし。」と云う中、懐中を捜し
金「やぁ大変ができたぞ。」
得「如何した。」
金「最前貴君からお来しになった手紙を取りおとした。」
得「ええそりゃ一大事だ。おまえまた如何したもんだな。斬る密書を懐中して来たぁ。そそっかしいにも世間例があらぁな。これこれ源蔵、大急ぎだ。只今庚申塚で駒木が手紙をおとして来たから人手に渡らない中にちっとも早く行って見てくれろ。」
源「はいかしこまりました。」と手丸の提灯をつけて、いた天走りに駆け行きました。
得「どうだい、よい塩梅にあってくれればよいが。」
金「左様だて。しかし多分はあると存ずる。」と話の中、源蔵立ち戻って
源「所々方々を捜しましたがございません。そこで下郎が考えまするは、多分は松江様の手へ入ったに相違ございません。」と言訳は只今庚申塚の側で長兵衛新平の二人に出逢いましたが、平生兄弟同様にしておる私へ挨拶もなく、余程腹の立った様子で、下郎の面を見ておりました。そこで思いまするにあの手紙は松江様の手に入った様子は彼等も知っているかと存じます。」
32 得「それは一大事。駒木、お聴きか。」
金「いぁ大変、この上は如何致そう。」
得「手紙が手に入ったからは、ただはおくまい。今にも右膳がここへ参ろうもはかりがたないて。」
金「もし参ったら如何致そう。」清見しばらく思案あって
得「よろしい気遣いなさるな。もし来たらばこうこう。」と駒木の耳に口を寄せ何かささやきました。
金「それは上策。然らば左様致そうか。」
得「源蔵、その方は今にも松江が参ったら留守だと申せ。」
源「かしこまりました。」それより両人は支度に及び右膳の来るのを待っていました。さて松江右膳は娘の首をひつ下げ、清見が宅の玄関に来たり「頼む頼む」と案内の声を聴いて源蔵そっと清見に知らせますると、両人は庭へ下りて裏の切戸より忍び出ました。源蔵はあわただしげに玄関へ出て
源「何か御用でございますか。」
右「清見氏は御在宅か。松江右膳が参ったと申してくれ。」
33 源「主人は留守でございます。お申しおいてよろしい御用なら私がまでお願いとうございます。」
右「清見殿はお留守と申すか。あー是非に及ばずそれではご帰宅になったらば松江が参ったと申してくれ。」
右膳は拍子抜けが致しまして、しほしほと帰る道、お馬場先と申す処へ参りますると一人の武士、木陰より出て突然に右膳に斬って掛りまする。右膳は元より心得のある武士でございますから、一足跡へ下り持ったる首を側へ投げ捨て抜き合わせ、しばらく闘っておりましたが、その武士は駒木でありまして元来剣術が下手でございますから、右膳の為に斬り立てられ次第次第に後へ下る所と、右膳は付け入る隙があったと見えまして駒木の肩先より胸へ掛けて斬り下げました。駒木は「アッ」と云いながら倒れたる所を今一刀と踏み込みました。右膳は不意を討たれて振り向く途端に面部をしたたかに斬られ、倒れる処をば刺止を指し、血をぬぐって鞘(さや)へ収め、そのまま屋敷へ帰りました。
34 得「源蔵源蔵。」
源「旦那様でございますか。如何なりました。」
得「駒木右膳の為にやられおった。」
源「ええ、それはお気の毒様の事でございました。」
得「さて右膳を手に掛けて見れば屋敷にはもうおれん。何へなりとも参らんければならんが、それにつけても源蔵、その方も長々務めてくれたが最早これにて暇を遣わす。些少(さしょう)なれどもこれを遣わすから、ちっとも早く立ちのけ。」と金子五両を与えました。
源「有難うございます。左様ならば一つ足も早くいずれへなりとも身を逃れましょう。」と直に支度に掛り、源蔵は何へか出立致しました。跡に得四郎は支度なる間も心せき、家財諸道具はそのままにして金銀だけを取り集め、何くともなく逐電致しました。松江右一郎は父の帰りの遅きゆえ、待ち飽み、もう堪えらんと手丸の提灯をつけて清見の宅へ参ろうと通り掛りましたお馬場先に、何やら倒れていますから、提灯に照ら見ると血に染ました駒木の死骸がありますから、「これは」と驚くその方にも、又一人血の染めたる死骸がありますから、段々見ますればまったく父の右膳でございますから
35 天に叫び地に呼んで、抱え起して介抱致しましたが、はや事が絶えておりました。
右一「お父上、あさましいお姿におなりなされました。これだから私が最前、清見の宅へ御伴しようと申しましたのでございます。」
と悲嘆の涙に返らぬ繰言(くりごと)を並べ泣き伏していました。しばらく立って涙を払い
右一「いやいや悲嘆ている所でない。たしかに仇は清見得四郎只一つ打ち。」
と刀を目釘をしめし、清見の屋敷へ来て見れば、はや何処へか逃げ出しました跡でございましたから、詮方なくなく屋敷に立ち帰り、委細の形体を物語り、家内挙って(こぞって)悲嘆に沈みし有様は口も当てられぬ次第でございます。
さて右一郎はすぐ様、この事をその掛りへ訴えまして葬儀を営み、いよいよ仇討ち出立は明晩
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