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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第7席

天明8年(1788年)惣七7歳

82 申し上げます。右一郎新平源蔵を連れ、与板へ乗り込みまして宮本屋と言う旅宿へ止り、日の暮れるのを待ちまして、燈(あかし)がつくとそれぞれ支度を致し新平源蔵を連れさせ、右一郎は信濃川縁(べり)の土提に待っていました。源蔵国蔵の宅へ参り
源「今晩は。源蔵でございます。」
若者「おお源蔵か、ちょっとも顔を見せねぇの。」
源「商売都合で三条下へ行ってたからご無沙汰した。親分わぇ。」
若者「今日小千谷まで行ったよ。」
源「清見の旦那様は。」
若者「奥にお出なさる。」
源「ちょっとお目に懸りたいが左様言って下さいな。」
若者「今左様言ってやるから待っていねぇ。」と奥へ参り、清見へ申しますると清見は出て参り、
得「源蔵、何の用だ。」
源「旦那様、貴君に是非お目に懸りたいと言う方がこの先に待ってお出なさいます。この方へ出たいが国蔵親分に不都合があって、家へ行き兼ねるから、誠に済みませんが、貴君様にお出を願いたい。お願い申す事があるからと言って待っています。」
得「誰だ。」
源「行ってお逢いなされば分ります。」
得「左様か。誰かは知らんが行ってやろうか。」とこれより得四郎は支度を致し、源蔵と共に出かけて参ると、新平は見え隠れについて参りまして、はや土提へ掛りました。
83 得「源蔵、何処まで参るのだ。一体待っていると言うのは誰だ。」と言う後ろより
右「誰でもない。松江右膳の倅(せがれ)、右一郎だ。よも見忘れは致すまい。」
と名乗られて得四郎は見るといかにも松江右一郎でござりますから驚きまして
得「左様言うお身は右一郎か。」
右「いかにも右一郎だ。八年以前、本国三春に於いて、父右膳を討ちて立ち退き、なんじの暴悪その無念を晴らさんため歳月尋ねた甲斐あって、ここで逢ったは天の助け。父の仇さぁ尋常に勝負しろ。」と刀を抜き放って立ち向かえば、
得「成程おまえの父右膳は己が討ったに相違いなし。さすがは武家の片割と仇呼ばわり感心いたした。不便ながらも返り打ち、この刀を受取れ。」
とエイと一声掛けやいなや、刀を抜いて右一郎に斬って掛る。右一郎も抜き合わせ、しばしの間、戦いましたを新平源蔵は手に汗にぎって見ていました。清見右一郎に斬り立てられ後へと下る所を、右一郎はたたみかけて斬付けるを清見はもうたまらぬと、外引し前なる信濃川へザンブとばかり飛び入りましたが悪運ついに消え果て、ここに一命を落としました。
84 右一郎は、歯噛みをなし今にも身体が浮き上がるかと見ておりましたが、それきり見えずなりました。新平は、いらだちて、源蔵を押さえつけ
新「敵を逃した腹いせに、この源蔵をこうしてやる。」と道中差に手を掛けて斬ろうと致しますると
右「しばらく待て。彼を此処に殺したとて、草葉の陰の父上や妹の追善供養にもなるまいし、その上清見の首は見ざるも確かに死んだと覚えれば、個奴の命は助けて遣わすぞ。悪しき主人を持ったのは、その方の不幸。その罪を憎んでその人を憎まずと言う喩えもあると、なんじの命は助けて遣わす。向後、心を改めて善心になって世を送れ。必ず右一郎が申した事を忘れまいぞ。」
源蔵は大地へ両手で突き
源「ありがたい。今のお言葉、この源蔵の腹へ染み渡りました。命を助けて下さるのみならず今の御意見ありがとうござりまする。」
と言いながら新平の道中差へ手を掛け、抜くより早く髷(まげ)プッツリきってそれへ出し
85 源「ご覧の如く坊頭になり、身は墨染の衣と変え、お過ぎなされた右膳様、お妹子のおすま様、悪では有れど駒木様、生死の程は知れないが、急流激しいこの河へ飛び込みなすった主人得四郎様、多分お死になったに相違ないから、この弔い(とむらい)を致しまします。」
右「むーよくも発心いたした。」と語る後ろの船小屋より、始終を聞いた船人由蔵
「先刻からの刀打ちをこわごわ此処で見ていたが、源蔵どん、悪い事はできないもんだなぁ。この信濃川で殺したと思った方が助かって、殺さした清見様が所も同じ信濃川へ飛び込んで命を落とすも天の報いぁ。恐ろしいもんだなぁ。」
これで思い当ったは己の悪事を両親が意見をしたを聴かないゆえ、それを苦に病二人とも帰らぬ旅へ行きました。しかし、ここ辺が悪事の年貢納めとこれも同じく髷(まげ)を切り
由「なき両親の菩提のため、源蔵一緒に坊頭になろう。」と言うを側で見ている右一郎
「揃って二人とも悪事を捨て善道へ入るとはあっぱれなる志。」
86 ほめまして与板の土提で別れましたが、その後源蔵智暁由蔵西真と改め、その頃与板の二人坊頭とは、この二人でござりまする。お話変って右一郎は敵清見得四郎の首を挙げざるを無念遣る方なくは思いましたけれども詮方なく新平を伴い新飯田村へ立ち帰り、お勝長兵衛にもこの由を物語り、此処に四五日逗留致しました。或る日長兵衛新平を招き
右「さて両人色々厚き世話に相なった。礼は言葉でつくされぬが、それはさておき、敵清見を討ち洩らし多分水死致したに相違ないが、吾が手を以って殺さねば、全く討ったにあらず。且つ君侯(との)より拝領の国光の一刀■に敵討ち免状まで、荻島水難の砌(みぎり)、皆河中へ流してしまい、本地へ帰参の手ずるを失ったる上は、是非に及ばず信州上田へ一先立ち帰り、時節を待って帰参致さん。また勝も長々、長兵衛の世話に相なった。この礼も追って致そう。明日は兎も角もお勝を連れて出立に及ぶから、左様思ってくれぇ。」
長「とんでもない。お礼どころではございません。これまで受けた御恩返し。なぁ新平。」
87 新「そうでございますとも。必ずお礼に及びません。長々の御心労も水の泡と消え失せました。お心の中、お察し申し上げまする。しかしその中には御運の開く時節もございましょうから、必ず御短慮を遊ばさぬ様に。」
と二人は右一郎を慰めまして、その夜は四方八方の話に明かし、いよいよ明日になりますると出立の用意も出来ましたから、右一郎夫婦は長兵衛夫婦に厚く礼を述べ、新平を供に連れ、信州上田へ立ち帰りました。さてこれより何事もなく、昨日と暮れ、今日と明け、はや三年が立ちました後のお話でございます。長兵衛宅では、はや惣七も今年は十才に相なりましたが、長兵衛の妻お種が病気でございます。惣七は至って孝心深き者ゆえ、母の枕辺を離れず看病致しておりまたがその甲斐もなく次第次第に重るにつけ、惣七子心に督薬の力にてはとても行かず此上は信心より外はなしと、毎夜氏神へ水垢利とって、裸体参詣を致しますを父長兵衛はこれを知り
88 長「惣七、おまえの孝行は村中で誰知らない者ないが、見れば毎夜毎夜この寒さに氏神へ裸体参詣をしているがもし寒気に当ったら孝行に似て大不孝、こればかりは止しておくれ。家でおがんで・その孝行が廻れば御利益はあるものだよ。分ったか惣七。」
惣「爺や、爺の言う事ぁ分っているが、今夜で丁度二十一日目。たった一夜にして足まで掛けた大願を反古にするのはもったいないし、それに自分も男だぁ。一旦思い立った事を寒さが強いと言って中途で止めるなら死んだ方がましだそな。今夜もう一夜の事だから案じねえでやって下さい。」
長「一夜とあらば仕方がないが、必ず明日からは思い止れ。」
惣七ながら一旦言い出した言葉を後へは引かぬ気象を察し、余儀なく長兵衛は薬を煎じに掛りまする。かれこれ七ッ下りになりますると、国の名物で雪がちらちら降って参りました。日が暮れると益々激しくなりました。その雪の中を惣七は一心不乱と水を浴び、鎮守の森へ掛りまする。
89 時しも風は烈しうございますから、雪はまるで煙の様でございます。惣七は目口から吹き込まれ息ができませんから、所々でたち休んでは参ります。はや鎮守の森へ差し掛りまする。折りしも風強く吹いて参り、梢(こずえ)に積もっておりました雪が惣七の頭から全身へ吹きおろしましたから惣七は気絶いたし、ウンと言って倒れまする所へ雪は段々と積もり、あわれや惣七の一命は危うい所でございました。
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