滝沢農園
滝沢農園トップ
義侠の惣七
新飯田の惣七トップ
第1席  第2席  第3席  第4席  第5席

第6席  第7席  第8席  第9席  第10席

第11席  第12席  第13席  第14席  第15席

第16席  第17席  第18席  第19席  第20席
三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第5席

惣七の父・長兵衛の伝記5

59 引き続いて申し上げます。長兵衛は、はからずもお勝を助けまして色々介抱しました末、事の仔細を一々聴いて仰天を致しましたが、兎も角もとて、それよりお勝を伴い新飯田村へ立ち帰りまして
長「おたね、お出ね、今戻った。早く出て来い。」
お種「何か急用でもた来たか。大層早い戻りだね。」
長「早い所か途中から戻ったのだ。さあ貴女、その方へお入りなさいませ。むさくるしゅうはございますが御遠慮なしにさぁさぁ、お上りなすって下さいまし。これこれおたね、手前の着る物をここへ来う。おたね、このお方は自己が常々話す、以前御恩を受けた御主人の若御新造様だが、今日不思議な事でお出逢い申してお供をした。委細の話説は後からする。なに御新造様、これはおたねと申しまして私の女房でございます。」
お勝「そんならこのお人がそなたのおかみさんか。妾(わらわ)は三春の家中松江右一郎の妻であります。重ねがさねの薄命、当国まで彷徨い来り、既に一命も失いましたを不思議にも長兵衛の船が来かかり助け上げられました。」
種「おおそれはまぁ、危険な事でありましたなぁ。何はさておき、そのお体裁じゃいられません。さぁさぁこれをお召し替えなさいませ。」
60 長「つきましては心懸りは若旦那様、お勝、どうか一刻も早く尋ねてもらいたい。」
長「宜しうございます。直ぐにここからお尋ね中に参ります。おたねや、自己やぁ行って来るからここへ来てお湯を沸かして御膳を上げろ。頼んだぞよ。左様なら御新造様行って参りまする。」
と出て行きました。跡に女房は膳さしらえをして、お勝の前へ持って参りました。
お勝「はからず厄介になりまして済まない。」
種「あれさ、夫の御主人様の事を、少しも御遠慮はありません。一体まぁ如何言う訳でごぁんしてこの辺僻(へんぴ)の国へお出なさいましたんですな。」
と問われまして、お勝は涙ながら夫婦が身の上遺なく物語りました。おたねは驚き、且は悲しみ涙に暮れている所へ長兵衛は立ち戻り
長「今戻った。」 お種「若旦那は分かりやしたかね。」 お勝「知れましたか。」
長「分かりません。また明日になったらそれぞれ尋ねましょうが、何分御存知の通りの雪汁ゆえどうかよい塩梅(あんばい)に助かって下されればよいが。」
61 お勝「もし万が一の事があったら如何しようのう。」
お種「若旦那様は男の事ゆえ、左様な事はござりゃすめえ。のう長兵衛どん。」
長「己も左様思っちゃいるが如何にも強い水勢だから、いや別段の事もございますまい。明日になったら分かりましょう。今夜はまぁお寝み(おやすみ)なされまし。」
とやがておたねは手早く床を敷き
お種「汚なうございますが、ここへお寝み(おやすみ)なされまし。」
と無理に勧められてお勝は床の上へ座りましたが、夫右一郎の身の上が案じられましてその夜は眠りに就けません。さてお話は変りまして、右一郎は舟を覆され(かえされ)まするとそのあと押し流され柳川村の水除杭に押しつけられ、慌忙杭に掴まり(つかまり)水振るいをもって一息吐き、ようようの事で土堤に上りました。
右「思いも寄らぬ難に出逢い、お勝は如何致したか。包みは元より大小まで皆流されてしまったが
それはともあれ女房が助かってくれればいいが。」
と独言ながら向うを見ますと、ぼんやりと火光が見えますから
右「あの火光はたしかに人家と思われる。あれへ参って今宵の始末を物語り、一夜を明けさせてもらう。」
と火光を便りに参りました。
62 只見ると一軒の藁屋(わらや)がございます。戸口に立ち寄りまして
右「御免下さい。拙者は只今この河にて舟を覆され(かえされ)ほとんど難渋しつる者、哀れ願わくば何の隅でも苦しゅうござらんから、一夜を明かさしては下さるまいか。」と言う声を聞き、主人が
「それは定めし、御難渋でごぁす。只今開けます。」と門口を開け、右一郎の姿を見て
主人「やれやれ、お気の毒な。何しろこっちへお入りなさい。」
右「しからば許して下さい。」と入りますと
主人「足を拭いてこちらへあがらっしゃい。今火を焚きまする。」
とこれより炉(ろ)へ粗朶(そた)を折りくべ火を焚きながら
主人「遠慮なくこちらへござれ。」
右「しからば御免下さい。」と炉の辺へ参りました。主人は右一郎の髪を見て
主人「何しろ、びしょ濡れでごあんす。こりゃ私の寝巻きだがこれをお着替えなさいまし。」
右「御親切に有難うございます。しからば暫時借用申すでござろう。」
と着物を着替え、濡れたる着物は片側へ掛けまして元の所へ座りますと、主人は右一郎に向い
63 主人「そうしてお前さんは何処から何処へお出なさるでごあんす。」
右「いや某は奥州三春の者だが仔細あって新潟まで罷り越そうと存じて長岡より下り舟に乗りこの辺まで参りし、所計らず船を覆され(かえされ)、妻諸共(もろとも)に流されしが、運よく手前はこの土堤下の水除杭に押し付けられ辛くも命は助かりしが、妻は生死の程も相知れず、こうして居る間も心掛り主人のお助力をもって尋ねて頂く訳には参りますまいか。」
主「それは誠にお気の毒でごあす。しかし先月中からこの川は雪汁と言って山々の雪が融けて所々から押し出す洪水ゆえ、ましてや女子の身では助かろう。様はねえが夜が明けたら及ばずながら尋ね捜して上やしょう。」
右「どうか何分とも死骸なりともお捜しなすって頂きとう存じます。」
とその夜はそれにして夜を明かし、翌日に相なりますると主人は同村の若者を四五人頼み、所々方々と尋ねましたが見当たりません。それはそのはず。お勝新飯田村長兵衛の処に助かって居りまするとは神ならぬ身は知らざるはずでございます。
64 右「誠にはやご厄介でござりました。知れませんか。」
主「一向に知れやしねえ。多分は流されやしたに違いねえ。御新造さまはお何幾になりやすぇ。」
右「当年二十二でござります。」
主「そりゃおやげねぇ事をしやした。だかなぁ尚一つ骨を折って又々捜してやりましょう。」
と最親切に捜してくれましたが知れません。さて右一郎はここに三日程逗留致しましたが、いよいよお勝の死骸が知れないと云う事になりました。新潟の様子を聴き合わせまするに、その頃同所は船舶ばかり輻湊(ふくそう)土地にて中々武士の浪人などの入り込むべき場所ではないと聴きましたから、尋ね行かんも無用の事と存じまして詮方なくなく信州善光寺へ彼が菩堤のために参詣せんと思い立ちましてその家を出ました。もっとも包み大小は皆な流しましたれど、路銀は胴巻のまま肌に付けて居りましたから主人を始めそれぞれへ礼物を置きまして直に三條へ出て、衣類大小を買い求め日を重ねて善光寺へ至り、妻の追福を営み、同所を出立して上田の駅に来り原町の菱屋清兵衛と云う旅籠やへ宿を取ります。
65 不幸の上に不幸を重ね、その夜から右一郎は大熱を発し、にわかに苦しみしゆえ、ご主人を始め家内中医者よ薬と介抱致しまして、明日になり益々熱は盛んに相成りまして、出立も成りかね、余儀なくここに長々の逗留を致する事になりましたが、元より多くもあらぬ路用を皆な使いつくし右一郎は困却を致して居りまするを主人の清兵衛は色々深切に世話を致し、且つその身の上をも尋ねますると右一郎も当時は浪人の事、指して行くべき方もなき、趣きを答えましたにつき清兵衛は改めて右一郎に向い、
「ともかく病気快復まで当地に足を止め筆学の指南にても成されては如何でございます。」
と勧めますると、右一郎もその志を悦こび(よろこび)、早速清兵衛に頼み、同所鍛冶町と申す所に清兵衛の持ち家の有を掃除致し、ここへ引き移りまして松江堂と云う標札を出して筆学指南を致す事に成りました。
66 さてお話は変りまして、上州の吉井町新平は、飛脚を渡世に致しまして、この度越後の新潟まで参りました。帰りがけ以前三春に居た時兄弟同様にして居た長兵衛は今新飯田村と云う所に居ると聞きましたから、かねて約束の通り新平はわざわざ新飯田村へ来まして長兵衛と尋ねると直分りましたから門口より
新「御免なさい。三春に居た長兵衛さんは内かね。」
お種「お出なさい。何処から来やんした。」
新「はい、私は上州の吉井町新平と云う者、長兵衛さんがお宅ならちょっとお目に懸りたい。」
お種「今近所へ参りましたから待って下さい。呼ばって来るから。」
と云いながら迎いに参りますると長兵衛は直様帰って参りまして
長「いやぁ新平どんか珍しい。さぁ上がってくんなさい。お種や、足を洗う水を汲んで来い。」
新「それじゃ御免なさい。」と足を洗って上へ上がりまする所へ奥の方より出て参りましたのは右一郎の妻お勝
で有りますから新平は見るより吃驚(びっくり)して
67 新「貴嬢は若御新造様、如何した訳で長兵衛さんの内に。」
長「それには長い話が有る。恰度五年跡の五月十一日の夜、三條までの上り船に行った途中、みなぎり来る水面を月の光でよく見れば、浮きつ沈みつ流れて来る人があるゆえ、何国の誰かは知らねぇが助けてやろうと帯際取って引き上げて介抱しながらよくよく見れば御新造様、吃驚(びっくり)してお話を聴けば、お前も知っての大旦那右膳様を討って立ち退いた清見得四郎の跡を追っかけ、この越後路へお出になり長岡より新潟までの下り船で荻島の端まで来ると船頭・・・・・・・覆したか、ただしは敵の片割れか、若旦那右一郎・・・・・・・・・・
れたとのお話、それからすぐに若旦那・・・・・・・・・・・尋ねたが一向に見当たらず何でもお・・・・・・・・・・・・・・
諦めて(あきらめて)、新平どん、あれ見さ・・・・・・・・・・・・・・・・
様と書いて朝夕回向して・・・・・・・・・・・・・・・・・
68 いお身の成り行きじゃない・・・・・・・・・・・・・・・・・
い夫婦の身の上、それから直に・・・・・・・・・・・・・・・・
のおっしゃるには、仇を討たずに返・・・・・・・・・・・・・・
貢は致してやれば得四郎の首を見る・・・・・・・・・・・・
世話に成れとのお返事ゆえ、長の年月こうや・・・・・・・・・・
って居たよと始終を聞いて涙を払い、新「始め・・・・・・・・話さず御愁傷でござりましょう。」 と話の内に表から惣七が帰って来ました。この時惣七は七才でござります。
長「惣七と云うて七歳になりやす。」
新「そりゃ結構だ。私も五つになる兼松と云う倅(せがれ)ができやした。いやも子供もいいが五月蝿(うるさい)もんだのう。
長「そこでお種、この人は元御新造様のお宅に居た時分、兄弟同様にして居た新平どんと云う人だ。」
新「始めて御目に懸りやした。私は上州新平と云って討ちの長兵衛どんとはまるで兄弟だぁね。どうか心易く願います。」
69 お種「私ぁ在郷もんで口はきけやしねぇが、何分お心易くお願い申します。」
とその夜は長兵衛に一泊し、翌日は新平も名残惜しくは思いましたが、そこそこに挨拶を致しまして新飯田村を出立に及び、それより信州路へ廻り上田の駅原町の菱屋へ泊りました。その夜新平は下の便所へ参りました。戻りがけ二階へ上がろうとする時、店の方を何ごころなくちょっと見ますると三十位な浪人体の武士が帳場格子のそばへ座り主人としきりに話をして居りました。その横顔を新平が見まして吃驚(びっくり)し思わず声を上げ、「若旦那様右一郎様」と声を掛けんと致しましたが、いやいや右一郎様は確かに信濃川でお果てなさったに違いない。それがここにお出成らうはずはなし。たとえにも云う他人のそら似と思い直しました・・・瓜(うり)をそのままゆえ、また口をきこうとして、いやいやもし人違いなら面・・・・取っ捨っ階子(はしご)の下で新平は、しきりに気をもんで居ましたが・・・・・新平は若旦那様と声を掛けました。その跡は如何成りましょうか。・・・・楽しみに致しましょう。
荻島=三条市荻島(おぎじま)
柳川村=三条市柳川新田
荻島と柳川新田は信濃川の対岸にあり、距離にして500Mほど流された事になるでしょう。
荻島から新飯田の長兵衛邸まで4キロ程
inserted by FC2 system