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義侠の惣七
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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第8席

惣七10歳で母亡くし13歳で奉公に出る

89 さて申上ます義侠の惣七も追々と面白い処になって参ります。今晩から惣七の伝記に掛りますが、偖(さて)昨夜も申上まする通り惣七は寒中も厭はず(いとわず)毎夜母の病気を癒さんと水を浴び、鎮守へ裸体参りを致しましたが、頃しも十二月の八日の夜雪は烈しく降まする。其吹雪の為に、鎮守の森まで来て倒れましたが、その時向うから来たる提灯は父の長兵衛でございます。
90 同人も一旦は得心して参詣を許しましたが、後にて惣七の身を案じ鎮守の森まで参りますると、雪の中で埋もれて居ものがございまするから、瞳を定めて見ますると倅(せがれ)の忽七でございますから吃驚(びっくり)致して走りより介抱を致しながら
長「ソレ見ろ自己の云ない事か。ヤァイ惣七ヤァイ。」
と呼ますると親の真情が通じましたか、惣七は呼吸をふき返しました。夫(それ)より長兵衛惣七を背負い我家へ帰りまして藁火(わらび)を焚て介抱すると、漸々元の様になりました。
惣「お爺かアーア、有難うございます。」
長「それだから止せと云ったんだ。然し貴様の孝心は天道様もお感じ成さろうから追付お種の病気も癒ろうよ。」
惣「何か早く癒れば宜」と話すを母のお種は屏風(びょうぶ)の内にて之を聞きまして惣七の孝心を喜んで泣いて居ました。扨(さて)数日も経まする中に一度は本復を致しましたが、定業のつきる所でございますが、翌年の四月十八日にお種は帰らぬ旅へと赴き(おもむき)ました。
91 針ヶ曽根長兵衛親子の歎き(なげき)は言迄もございませんが、親類共に■解られ涙ながらにお種の葬式を出しました。それより惣七は所々へ奉公に出ましたが末に成ますると北越侠客の一人新飯田の惣七と人に知られる丈夫に成まする程の者でございますから、幼少より万事に麁暴(てあらく)かつ博奕を好みまして、何所へ行ても辛抱ができません。すると近所に針ヶ曽根と申す村がございまする。この村に五十嵐藤右衛門と申して金満家がございます。この家へ惣七が奉公に参りましたのは、十三歳の時でございますが或る夜この家へ帯刀人体の賊(ぞく)が二人押入りまして、家内の者残らず縛り上げましたが惣七一人を見落しますると、惣七は布団を被って様子を伺って居りますと一人の賊がこれを認め、惣七の布団を反上げ
賊「コレ、丁稚(でっち)貴様、丈(たけ)は赦して(ゆるして)遣る(やる)から金の有所へ案内しろ。」
惣「案内はしますから何ぞ免して下さい。」
賊「赦してやるから早く案内しろ。」
92 惣「此方へお出なさいまし。」と金雪燈をつけ、先に立ちまするから賊は手分けして一人の賊に
内を守らせ一人が付いて行きますると、賊「シテ金は何処に有るのだ。」
惣「向うの土蔵でございます。」 賊「ム、好々はよく行け。」と、さて町の土蔵と違いまして在方の土蔵は表家より余程離れて居りまするから、この土蔵へ行きまする路に肥溜が二本埋て有ります。その前に来懸りますると惣七は立止り
惣「モシ旦那、土蔵は二つ有ります。此方の土蔵は着類諸道具が入って居ります。向うの土蔵は金計りでございます。何方へ案内致しましょう。」
賊「金の方へ案内しろ。」
惣「それでは此方へお出なさい。」と言いながら賊の隙(すき)を見て突然腰の辺りを力一杯に突きますと不意を打たれて賊はアッと言う間もなく肥溜の中へ真逆さまに落ちました。委細管はす惣七は表家へ駆けて参りまして家に居る一人の賊に向い
惣「今の旦那がおっしゃいましたが、余り金が沢山でとても一人で持ち切れないから
早く貴君を呼んで来て呉と。」賊「左様か。」と言いながらそのまま走り出しましたが
93 切戸口を惣七はピッシャリと〆てしまいました。賊は外へ出て
賊「ムウウム臭い。鼻がもげそうだ。」と片辺を見ますると肥溜の中でパチャパチャ苦しみながら
賊「誰か知らないが上げて呉。」
賊「民五郎殿ではござらんか。如何したんだ。」
民「丁稚(でっち)に謀られ(はかられ)この糞溜へ突落された。どうか上げ下さい。」
賊「上げろと言って手が付けられんテ。」
民「手が付けられんと言って打遺とかれちゃ困るワナ。」
賊「それだと言って臭くって寄付けないものを。」
民「和殿は其処に居てさえ寄付けないと言うが、中に入っている拙者を察し、玉へ臭いのは通り過ぎて腸(はらわた)まで糞に成った様子だ。」
と是より漸々の事で上へ引き摺り上げました。話は変って惣七は家内中の縄を解き、鉄盥(かなたらい)を叩き、火事よ〜と声を立てましたから二人の賊は何処へ行ったか、其切りに成りました。主人藤右衛門は今般惣七の頓智(とんち)を感心致し、他の奉公人よりも目を懸け可愛がっておきました。
94 惣七が十五の時でございましたが、父長兵衛病気に付き、暫時の暇をもらいに来ました。元来孝心の深い惣七ゆえ、早速主人方へ申し込み、暇をもらって新飯田へ帰りまして、表口から
惣「お爺、今来ました。」と声を懸げながら入りますと、長兵衛は床の上に居りまして
長「おう、惣七か此方へ上がれ。」 惣「如何だ。チットは宜かね。」
長「宜位なら迎えにや遣らねえが、医師殿の言うにゃ、余程六ヶ敷と言う。だから手前を向えに遣ったんだ。隣家の叔母御に礼を言っておくれ。どんなに世話になったろう。」
惣「これから自己が居るから大丈夫だ。安心して養生仕ねえ。」と
是より看病に閑(ひま)なく手を尽くしました。ニ三日経過すると医師が参りましたから
惣「先生様、お爺の病気は如何でございます。」
医「然ればさ余程重いて勿論これで人参剤を用いれば治らん事はないが、その薬を用いるには少なくも五両位はなけれならんて、その金さえ間に合えば薬は何時も盛って上げる。実に高金の薬ゆえ心外ながら是許りは現金でなければ困るて。」
95 惣「そならん五両の金が有りましたら、お爺の病気は治りますか。」
医「如何も治して進ぜる。」
惣「五両の金を拵えて(こしらえて)お宅へ持って出ますから如何かお願いします。」
医「宜しい。其じゃ待って居るから薬料を持って来て下さい。」と医者は帰りました。
元来父長兵衛は貧弱でございまするから惣七は五両の金に差し閊え(つかえ)
惣「お爺、己ア鳥渡(ちょっと)そこへ行って来るから、その薬を呑んで居なさい。」と
枕元へ薬を置き、小包を背負って出て行きました。その隣村を田中村と申しまするが其処に万五郎と申す賭博打(ばくちうち)がございます。子分も十二三は有りまして、毎度盛んに賭博が出来て居まする。それへ惣七が参りまして
惣「今日は。」 万「惣七か、何処へ行くのだ。」 惣「旦那の使いで金を受取りに行てきた。」
万「こっちや、ちっと遊んで行けやナ。」惣七は傍り(あたり)を見ますると奇偶(ちょうはん)が
盛んに出来て居まするから万五郎に向い
96 田中村惣「親分五両計りコマを卸して(おろして)下さい。背負って居るのは封金だから一と勝負して上るから。」
と言う。万五郎は毎度来ては遊びますから惣七は全く金を持って居ると心得五両のコマを卸しました。惣七はその場所に至って頻り(しきり)に勝負を挑みましたが差したる勝も得ませんから五両のコマをあちらこちらへ譲り、合せ正金と交換、それを何時の間にか懐(ふところ)に入れ万五郎の前へ来り
惣「もう五両コマを卸して下さい。」
万「そりゃ卸しても遣うが先の五両を納ておくれろ。」
惣「納る位なら貸せとは言わない。」
万「てめえ、これでも封金が有と言ったじゃないか。」
惣「実は嘘だ。一文も無い。」
万「なに一文も無い。それで済か己を見損なったか年もいかねえ癖にこの万五郎の賭場へ来て宜(よく)も己を騙った(かたった=だました)な。
惣「そんなに怒らねえでもいいやな。金さえ返せば済むんじゃないか。騙り(かたり)だの盗人だのと人聞きが悪いそな。宅へ帰れば何時でもやるから誰でも宜(よい)から私と一所にて来てください。」
97 万「それじゃ誰か一所に遣るから一度勘定しろ。これ平五郎、てめえ大儀でも次郎吉を連れて惣七について行って、切を五両取って来い。」
平「ヘイ畏まりました。」と次郎吉を呼び
平「惣七さあ行こう。」
惣「それじゃ一所に行ってください。」と二人を連れて新飯田村へ帰りました。長兵衛の門口へ参りますると惣七は二人に向い
惣「いや大きに、御苦労少し、ここ上り口に腰を掛けて待って居てくれな。」
平「なるたけ早くしてくれねえ。
惣「手間は取らせねえ。」と上へ上り、父長兵衛の枕辺に座り懐(ふところ)より五両の金を出して
惣「お爺、先刻お医師さまが薬の代に五両要と言ったから金はここへ持ってきた。これで薬を買って早く癒してくれねえ。」
とやがて出て来たり入口の二人に向い
惣「お待遠だったが実は、お前達の見て居る通り、己のお爺が此度の病気、その薬の代が五両入から万五郎親分を詐わって(いつわって)五両の金を持って来たのだ。そういう訳だから今と言っておめえたちへ渡す金は無いから二人して手ふらでも帰れまいから、金の代りに渡す物がある。これを持って行って下さい。」
98 平「そう言う事なら仕方がない。百貫の形に編笠一かい何でもいいから早く出しねえ。」
惣「今遣るよ。そら。外の品じゃねえ。己のこの首を持って行ってくれろ。」と事ながら
そこへドッカリと座りました。二人は驚き「なに、首を持って行けと。」
惣「さよう。てめえ達も空手で帰っちゃ役目が済むめえ。遠慮なしに持って行きな。さあスッパリと遣っておくれ。」
と言い放しました。面魂にギョッと気を呑まれまして、言語も出ず、只茫然として居りましたが平五郎は暫く有って、
平「あーあ驚いたなあ次郎吉。」
次「兄ィ、いい胴胸だなあ。」
平「如何してこの首計りは自己には取れねえ。親の病気を治さんと命まで差し出したとは日頃の品行には似合わぬ。孝々この話を親分に帰ってしたら、まさか首を取ろうとも言やあしめなあ、次郎吉。」
次「兄ィの言う通り、帰って話をして見よう。」とそのまま二人は帰りまして万五郎に委細を話ますると同人もその志に感心しまして、再び催促を致しません。惣七はそれより色々と手をつくしましたが、その甲斐もなく長兵衛はその年の十月三日に死去致しました。惣七は殊(こと)の外、力を落としまして、野辺の送りを営みまして、後は父の業を引き受け船乗と成って居りました。ここに惣七が始めて侠客の名を売り出しました高野宮村の真光寺で大喧嘩のお話は追々申し上げまする。
針ヶ曽根村=旧西蒲原郡中之口村針ヶ曽根(はりがそね)
田中村=加茂市田中新田の事
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