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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)敵討義侠の惣七 第6席惣七の父・長兵衛の伝記6
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昨晩の続き 新「若旦那右一郎様ではございませんか。」 右「その方は新平ではないか。」 新「これはどうも若旦那様、思い掛けない夢じゃあございませんか。貴君様には信濃川でお死去り成されたと承りましたが如何して御無事でおいでなさいました。」 右「これには段々話も有るが、まぁ座敷へ行こう。」 とこれから二人は二階へ上り、新平の座敷へ通りまして一別以来の挨拶も済み 右「さて拙者も上のお暇を頂き、清見が跡をつけて越後路へかかり、長岡より新潟への下り船に乗り、荻島と云う処まで来て船を覆され、すでに一命も危うき処、不思議と命の助かったと云う訳は水勢のために押し付けられて水除杭へ掛り、それからようよう陸へはい上り、柳川村の百姓に助けられたか。 |
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可愛や妻のお勝は底の藻屑(もくず)と相成った。それがために当国の善光寺へ参り、彼の菩提をとむらい、それより上州路へ志ざしたが、はからず当家に一宿致せし、その晩より大熱発して歩行も叶わず、百日余りの長逗留に路銀も残らず使いつくし進退きわまる折からに主人清兵衛の厚情を受け、色々周旋にてこの鍛冶町と云う処に世帯を持ち、その名を松江堂と改め、筆学指南を致して居るが、さて月日の経過は早いもの。これ新平、お勝に別れてより既に五年に相成るが、未だ仇にもめぐり逢わず無念の月日を送るワイ。」 新「それについて若旦那様、不思議な話がございます。御新造様にお目に懸って参りました。」 右「ナニお勝に逢ったして、それば何方の地で。」 新「越後でお目に懸りました。その仔細と申しますは、私も只今は故郷の吉井へ帰りまして飛脚渡世を致しますが、この度新潟までの用向で参りました。帰り掛け、お屋敷に居ました時分、兄弟同様にした長兵衛の処は |
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蒲原郡の新飯田村とかねて聞いていましたから、余りの懐かしさに尋ねました処、はからず御新造様にお目に懸り仔細を承れば只今お話遊ばしました夜に、はからず長兵衛がお助け申しまして、それから貴君様のお行方(ゆくえ)を捜りました所が分かりませず、余儀なくお里方の山村様へ御相談を致したれば、しかじかとの御返事にて時々お貢が参って長兵衛方に長々おいで遊ばすと承りました。それについて貴君様はお死去遊ばしたと思いつめ、仏壇に俗名を記し、香花を絶やさずに手向けていらっしゃいますに、その貴君様が御無事でおいでなさると云うは不思議な事でございます。」 右「そんならお勝も助かった。そうとは知らずこっちでもお勝の位牌をこしらえて今日まで回向を致して居た。」 新「何は兎もあれ、貴君様にはこれより新飯田へお出になって、御新造様にお逢いになり、今までのお歎き(なげき)に 引き変えて悦ばしいお顔をお見せ遊ばしましたなら、長兵衛は言うまでもなく数ならぬ新平もこんな嬉しい事はございません。」 |
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右「してその新飯田村と申すはどの辺だな。」 新「三條から二里ほど在(ざい)でございます。」 右「その方大儀ながら案内をしてはくれまいか。」 新「おっしゃるまでもございません。お供をば致します。元来華客の用向きは済ませました。帰り途(みち)の事、言い訳は如何でもできます。」 とそれより旅の仕度に及び主人清兵衛にもこの事を語り、翌朝新平を連れて信州上田を出立致しました。 月日は天明の八年三月中旬でございました。その日は善光寺に一泊致し、翌日は関山へ泊り、日を重ねまして新飯田へ参りました。新平はかねて勝手を知っていますから長兵衛の門口へ参りまして 新「この間は色々お世話になりました。新平が来ましたよ。」 種「おや新平さんか。長兵衛どん、新平さんがござったよ。」 長「なに新平どんがござったと、さぁさぁこっちへあがらっしゃい。まだ国へ帰らなかったかい。」 |
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新「まだ国へ帰らなかった処ではない。長兵衛どん、大変な事が有が話すから吃驚(びっくり)さっしゃるな。 若旦那右一郎様に信州上田でお目に懸り、お供をして来たから、御新造様に早くお知らせ申して下さい。」 長「えっ、若旦那様をお連れ申したと、そりゃ新平、本当かぇ。して何処にお出なさる。」と門口から 右「長兵衛、右一郎だ。久々だったなぁ。」 長「これは思い掛けない。確かに貴郎は若旦那様。如何して御無事でお出遊ばしました。」 と云う内、お勝は声を聞きつけ奥より駈け出て顔を見て 勝「若旦那様ですか。まぁまぁ貴郎は如何して御無事で。」 右「おお、そなたも無難で。」と共に嬉し涙に暮れました。 長「これお種、水を汲んで来い。」とやがてお種が小桶に水を入れて参りまして、右一郎の足を濯ぐ中お勝は右一郎の手荷物を奥へ運ぶなど、かれこれしてようよう風も静まり、これより四人は種々の物語をためす中、倅(せがれ)惣七はこの時始終の話を子供心に聞いておりました処へ、チャルメロの音が聞こえますから惣七は 「お爺、飴(あめ)を買ってくれな。」 |
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長「五月蝿(うるさい)奴だ。お種買ってやれ。」 種「飴屋さん、一つ遣っておくれなせい。」 飴屋「はい有難うございます。」と飴を出ている所へ新平は浄手を行うと奥より出て思わず飴屋と顔見合して 新「やぁ和郎は清見の源蔵どんじゃねぇか。」 飴屋「そう言う和郎は松江の新平どんか。これはまぁどうも。」と云う中に長兵衛も出て来れば 源「やぁ長兵衛どんでございますか。」 長「源蔵どん、これは不思議な。如何した訳でその有様ぇ。」 源「おめぇ達も知っている通り、己が旦那の清見様が、ああ云う訳になった故、よんどころなく三春を立ち退き、今は与板の国の親分の処で厄介になっているが、瘡毒(かさ)と云う病の為に博奕打もできず、仕方がねぇから、わずかな銭を資本にして、この商売を始めたねぇ。」と奥の方を眺め 源「長兵衛どん、奥にお出なさるは松江の若旦那右一郎ではねぇか。」 |
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新「如何にも。右一郎様御夫婦。」と聞いて源蔵不思議に思いまして 源「なに右一郎様御夫婦とは、はてなぁ御運が宜しい。」 長「これ源蔵どん、百里隔てた三春の朋友が再び一所に出逢うのもつきせぬ縁が有るのだろう。お互いに末長く間音信を仕様じゃねぇか。それについては辛抱が肝腎だから稼ぎ(かせぎ)やせぇよ。」 新「人間は身を固めねぇじゃ駄目だ。」 源「いや大きに左様だ。これからぁ一と辛抱して稼ぎましょう。又この頃にゆっくり来ましょうよ。」 長「そんなら源蔵どん。」 源「さようなら。」と出て行きました。後に右一郎「長兵衛、今のは誰だい。」 長「へい、彼は清見の仲間源蔵でございます。」 右「なに清見の源蔵と。」 長「左様でございます。」この時惣七は頑是(がんぜ)なけれで後先かまわず。 惣「お爺、御新造さんや若旦那さんを川へ流したのは、あの飴屋の奴だぜ。」 長「何をつまらねぇ。」 惣「それでも旦那さんの顔を見て誰も何とも云わねぇのに、御運がいいと云うたものを。」 と聴いて一同顔を見合わせましたが、右一郎は膝(ひざ)を進め |
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「清見の家来と聞いて疑いを起す折から、今倅(せがれ)が申す言葉ももっともその理に当る。三歳の子に聞いて浅瀬を渉るのたとえ、全くこれは惣七が云うにあらず。過ぎ去り玉いし父上が云わし給えるに違いなし。これ新平、遠くは行くまいからあの源蔵を連れて参れ。」 新「かしこまりました。」と門へ出ましたがどっちへ行ったかとんと相分かりませんから、思案に暮れておりまする所へ惣七は走り来たり耳を立て「おじさん、あっちだよ。」とかすかにチャルメロの音が聞こえまする方角を教えましたから新平はその利発に驚きながらその音を便りに駈け出しまして、程なく追いつき源蔵をを捕まえ 新「おい源蔵どん、少しお前に頼みが有るからチョックリ帰ってくれ。源蔵も心付かず 源「何の用だ。」 新「チョイと頼みが有るから長兵衛どんの内まで帰って下さい。」 源「む〜よしよし。」と新平に連れ立ちて帰りました。 新「さぁ上がんなさい。」 源「何の用だ。」と云う中鞋(うちわらじ)をどいて上へ上り、源「御免なせぇ。」と奥へ通り |
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源「これはこれは松江の若旦那さま、お変りもございませんでおめでとうございます。御新造様、貴女にもお変りもなくて。」 と座り、右一郎は源蔵の側へ寄り 右「いや源蔵、その方に尋ねたい事がある。隠してはいかんだ。他でもないが、清見得四郎は何方に居る、聴かしてくれ。」 源「こりゃ思いも寄らんお尋ねでございます。私は一向存じません。」 右「いゃ存ぜんとは云わせんぞ。先刻これへ参った時、我々夫婦の顔を見て、御運のよいと云った言葉は、某(それがし)夫婦が荻島にて害されんと致したを確かに知っての事ならん。察する所、この一件は全く清見が当国に居て、船頭に申し付け船を覆したに相違なかろう。それともなんじは知らんと云えば憂目を見せても云わせねばならん。それともに清見の在家を申せばなんじの命は助けて遣わす。源蔵どうだ。」 源「それは御無体、私に限り左様な事は知りません。」 右「黙れ、しからば何故に我々を御運のいいと申したのだ。」 源「それはえ〜斯様(かよう)ござります。三春を御出立なされてより、別段にお変りもないから、御運のよいと申した。」 |
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と云う傍(そば)から新平堪えかねて源蔵の胸襟を取ってぐっと締め上げ 新「嘘をつくな。何でも手前が知ってるさぁ。真っ直ぐに云ってしまえ。」長兵衛はねじ寄り 長「源蔵どん如何したもんだ。云ってしまいなさい。旦那の方のお詫びは私がしてやりましょう。」 右「新平、手ぬるい。もっと締めろ。」 新「かしこまりました。」と力に任して締め付ければ元より微毒病の源蔵なれば堪り(たまり)かね 源「痛え〜、苦しい、許して下さい新平どん。」 新「許してやるから云うか。」 源「云うから許してくれ。」と云う故、少し緩めると源蔵は溜息をつき 源「あ〜悪い事はできねぇものだ。僅かな言葉の端からしてあらわれると云うも天の罰。もうこうなったからは何もかも申し上げます。その代わり、命ばかりは。」 右「云うとあらば助けて遣わす。」 源「新平どん、もう包みかくしはしないから、その方へ退て(のいて)居ておくれ。」と右一郎の前へ手を突き 源「実は貴君方御夫婦をこの信濃川ではかったは、御推量の通り清見得四郎でいます。」 |
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右「すりゃ清見は当国に居たに違いなかったな。そうして我々夫婦のこの国へ来たをどうして彼奴が知っていた。」 源「それなりゃ仕方がない。その元の起こりはこの源蔵が長岡にて貴君方御夫婦をお見かけ申しました故清見さまへ早速注進に及び与板の悪漢由蔵と云う船人を語らい、貴君様方を返り討ちに致そうと存じました。その貴君方が助かって返って謀った(はかった)私が捕らえられると云うも悪事の終わりからすみやかに申し上げますからは、どうそ一命をお助け下さいまし。」 右「して清見得四郎は只今何方にいる。」 源「やはり与板の国蔵の所にお出なさいます。」 新「それでは若旦那様、一刻も早くその与板とやらへお出なすっては如何でございます。」 長「私も共々に御役には立ちませんがお供を致して参ります。」 右「もっともでは有るが敵手は知れた清見得四郎某一人にて事は足りる。万事かけ引きの為に新平を連れ、これなる源蔵に案内させその与板へまかり越す。日頃の怨みを晴らすであろう。これお勝、その方もここに止まって吉相待ちおれ。」 |
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勝「それは貴郎お情けない。私の為には舅(しゅうと)の仇、妹の敵、是非お供をお許し下さい。」 右「その志はもっともなれども仇は一人、それを討たんが為に大勢参るは恥辱であるから、この新平許し源蔵を逃さぬ為に連れて参る。」 勝「それでは貴郎。」 右「相ならん、これ源蔵、その方一命は助けて遣わす。代わり与板へ参って密かに清見を呼び出してくれ。」 源「いやも〜命さえ助けて下さる事なら如何な事でも致します。」 長「左様ならば旦那様、御新造様、私も。」 右「やがてめでたく帰るを待ちやれ。」 とこれより三人は源蔵を連れ与板へと趣きましたが、如何なりますか。明晩に。 |