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義侠の惣七
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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第18席

惣七の義

194 昨夜の続き兼松藤原を出立致しまして、清水を越え六日町長岡、それより三条へ出てようよう事で新飯田へ参りました。惣七の宅を聞きますると直にわかりました。
惣「兼松さんか。さあさあ、こちらへ来て下さい。私もこの間ようよう帰ったばかり。江戸を立つ時、今戸の宅へいとまごいに行ったらば御用になりかけたから風をくらったと聞いたゆえ、よんどころなく帰って来たが、如何して此方へ出て来た。」
兼「誰殿も居なさらないならお話申すが、実は私もあの時一旦は逃げたが、とうとう川越で御用になりました。そのうち日数を経て旨々(うまうま)川越の牢を破り、もう親分も帰った時分と考えて逃れて来ました。如何か暫時の中、かくまってお貰い申したい。」
惣「それなら牢破りをして来たのか。縦令天下のお尋ね者にもせよ、親からの懇意の中、自己も新飯田惣七だ。ようございます。及ばずながら惣七が命に懸けてかくまいましょう。」
兼「早速の御承知ありがたい。これで兼松も息をついたわい。」
195 惣「もう心配には及ばない。」これより酒肴を出し、やや世間話に移りました末に、清水越えの一條から六日町阿部佐忠太の非道の事、金岡伊織に助けられし事を話して
兼「親分、如何その仕返しによい工夫はあるまいか。」
惣「左様さ別好工夫もええけれども何にしろ、その佐忠太言う奴は非道な野郎だ。己はそう言う事には不慣れだが何と如■して遣って一番肝を潰させたら如何だ。」と耳打ちを致します。兼松は聞いて横手を拍ち
兼「妙々面白い。それじゃ明日にも藤原へ人を遣り親子の者を呼び寄せて早速一番行って見る。」
惣「しかしそれはてめえがやるがよい。己は尋常の博奕打ちだから強談(ゆすり)がましい事はできねぇ。」
兼「そりゃ私が一人でやるがおまえは只、後見になってくれりゃいいのだ。」
惣「それじゃ己が芝居の作者か、はぁははは。」
とこの夜は飲み明かし二三日立ちまして早速藤原へ人を遣わし金岡の子の者を呼び迎いました。
金岡伊織は娘のお町を連れまして、惣七方へ参り元は武士の果なれば、慇懃(いんぎん)に初対面の挨拶を致しまして
196 金「さてこの度は色々と御心配を懸け、難有存ます。お迎いに従いまして娘を連れて出ました。」
兼「もし先生その様に四角ばっちゃお話やできませんが、私共あ、ガサツ者だからザックバラリに遣りましょう。時に六日町の一條だてこっちの親分に話したら何しろ憎い奴だから充分に仕返しをして遣るが、いいと言うについて迎いに遣りましたのさ。」
兼「それじゃ親分、金岡様もお出でなすったから明日直に行く事にしよう。そこでおぬしも六日町まで行って下さい。」
惣「己は先の宅へは行かないぞ。」
兼「なあに、先の宅じゃねえ。かの後見の一件でただ宿まで行ってくれりゃいいのだ。」
惣「それじゃ宿まで行こう。」
とその夜は休みまして、翌日朝早く惣七兼松金岡親子を連れ出立を致しました。三日目にようやく六日町へ参りまして蛭子屋と言う旅店へ宿を取り、その翌日伊織惣七を宿に残し、兼松お町を連れ、阿部佐忠太方へ参りまして、店先より兼松は小腰を屈めながら猫撫声で
197 兼「へい御免なさいまし。私は江戸の者ですが、この方の旦那様に是非お目に懸ってお礼を申し上げたい事が有って参りました。お宅にお出なさるなら、一寸お目通りが致しとうございます。」
番頭「江戸は何方で、お名前は何と申します。」
兼「お目に懸りさえすりゃ直にわかりますから、宜しくお頼み申します。」
番頭「それではお名前だけ。」
兼「名前は兼松と申します。」
番頭「少々お待ちなさい。」と番頭は不思議そうな顔をして奥へ参りましたが再び店へ出て来まして
番頭「只今旦那に申し上げましたら兼松さんと言う方は覚えがないと申しますが
宅が違いや致しませんか。」
兼「いいえ違いや致しません。こっちのお宅が阿部佐忠太様とおっしゃいましょう。」
番頭「なーる佐忠太はこっちでございますが。」
兼「それ見なさい。旦那へもう一返、左様言って下さい。お目に懸ればわかる者だと。」
番頭「へい。」と奥へ参りますと暫時して佐忠太は店へ出て参りました。
198 佐「私に逢いたいとおっしゃるのは貴方でございますか。」
兼「これはこれは貴方が旦那でございますか。私は兼松と申して。」
と表を見て手招きを致しまする門に待っておりましたお町が入って参りました。
兼「このお町の私は兄でございます。長々妹が御厄介になりましたお礼に一寸上がりました。」
佐「はー、それではお前がお町の兄さんか。」
兼「左様でございます。久しく江戸へ行っていましたが、親父も段々取る年のえ、如何が楽をさしたいとこの間藤原へ帰りました所、思い懸けなく妹の顔を見ますると、なんだか傷だらけでまるでおででこ芝居の累ね(かさね)の様な面相をしていまするから、元々如此不きような者じゃ無かったが、如何したのだと尋ねまするとこっち様へ奉公に差し上げておいた中、旦那様がお手づから御打郷をなすって如此になったのだと申しますから、何か不調法でもしたに違いなかろうと段々叱り付けました。ところが全くそのような訳じゃねえ。旦那様の何かおっしゃる事を承知せないからお怒りになすっての御意見だとか申しますが、なーに女の言う事あ、当にはなりません。
199 しかし旦那へともかくもこの顔の傷が証拠となって見ますりゃ、まんざら無事では有ますまい。子へ旦那、女は顔が貴重なもの。その顔をこの通り傷を付けられちゃ、第一この女の一生一代の晴れ仕事嫁入りと言うとが出来ません。無理なお願いかは存じませんが、旦那のお手でちょいとお癒しなすってお貰い申したいと存じまして連れて参りました。この方の宅へ小間使いの奉公にゃ上げましたが、旦那のお寝間のお伽(おとぎ)をさせる訳に上げたのじゃございません。如何、旦那へ隙入れずとちょいと癒して下さいませ。」
と店先へとあがると大胡坐(あぐら)をかきました。佐忠太は青くなり赤くなり七面鳥の様でござりまして、一言の語も出ず目を白黒致していまする。番頭か見兼まして、
番頭「もしお静かに願います。旦那様貴方は奥へお出なさい。」 と佐忠太を奥へ遣り番頭は兼松の前へ両手をつきまして
200 番頭「私は番頭の善平と申し者、先程からのお話は彼方にて一々承りました。御立腹の段は重々ごもっとも、しかし今貴方がお町さんの顔の傷をここで癒やせとおっしゃいまするのはたとえにも言う比丘尼(びくに)に何とやらも同じ事、出来ない相談なんと此様にしては下さいませんか。貴方の方で御療治をなすって下さい。その代は私の方から差し出しまする事と、お和談申しては如何でございましょう。」
兼松はにっこり笑いを含み
兼「さすが御大家の番頭さんだけ有って、物の解った今のお言葉、それじゃ仰せに従って左様いう事に致しましょう。」
番頭「早速の御承知で有難うございます。江戸のお方は誠にわかりが早くっていらっしゃるから面白い。そうして療治代は何程差し上げてようございますか。」
兼「なあに、少々でようございやす。」
番頭「少々とおっしゃって何の位。」
兼「何この顔が治りまするだけでよいのでございますから、百両遣っておくんなさい。」
番頭「えー、百両え。あの通用金の百両かね。」
201 兼「百両で安けりゃその上は思し召し次第、いくらでも遠慮はしない。人の娘を傷物にした主人の佐忠太、ここの宅の連雀を付けて背負って立っても言い分は有るめえ。グズグズしゃがると横っ面、張挫く(はりくじく)ぞ。」
と睨み(にらみ)を付けられまして、番頭はびっくりして奥へ飛び込んで参りまして、主人にこの話を致しますると主人も肝を潰しましたが、身の過ちゆえ、是非もございませんから言うがままに百両の金子を渡しました。兼松は受け取ってお町を連れ
兼「大きに、お喧しいございました。旦那にそう言っておくんなさい。又この近所へ参りますとお尋ね申しましょう。」
番頭「もうもう決してお出には及びません。」
兼「ざまあ、見やがれ。」
と捨て豪辞にて、蛭子屋へ立ち帰りまして、惣七の前へ百両を出し今日の始末を物語り四人が大笑いを致しました。さて惣七兼松に差図(さしず)を致しまして、その金をそっくりと金岡伊織に渡しますと、伊織はなかなか受け取りませんから、色々に勧めてようよう渡しました。
202 伊織親子は涙を流して礼を述べ、その翌日藤原へ立ち帰りました。惣七兼松を連れ好い後生をしてやったと六日町を立ちまして長岡渡里町小熊屋という旅店へ宿を取りまして、両人二階で酒を飲んでいますると、お話は変わりまして武州の川越では兼松が破牢を致し、逃げ去りましたから松平大和守様より諸所探索に相成りました末、越後へ足が付きましたから越後のお大名へお頼みに相成りましたに就き長岡牧野備前守様も御家来に言いつけられ、御探索に相成りました。ところが今日渡里町の小熊屋にて、異形体の他国人を認め、それと察して召し捕り方の手配りに成りましたが、傍に新飯田村惣七が居ますから、手出しをする事が出来かね、早速石内綱助をお呼び出しになってお頼みになりました。綱助も御領主の沙汰なれば、よんどころなく子分を二人供に連れ、渡里町の小熊屋に参りまして
203 綱「こっちの宅に新飯田惣七が来ているかえ。」主人「へい。」
綱「それじゃ御免よ。」と二階へ上りまして兼松の飲んでいまする次の間で
綱「時に惣七、おまえは兼松と言う盗賊を連れて歩いているそうだが、それについて今、係りの役人が召し捕りに向ったが、てめえがいちゃ面倒だからと言って、己の所へ頼みに来た。如何言う訳があってかくまうのだか知らねえが、まさか盗人を隠し終せたとて、左のみ男も好くなりもしなかろうから、己の任してその盗人を縛らしてやれ。」
惣「何の事だと思ったら、そんな事で来なさったのかね。如何にも兼松と言う盗人は己がかくまっておくが、こればかりは兄貴の辞に従って渡す訳にゃ行かねえ。己も頼まれた男づく命に懸けても渡さねえわな。」
綱「そりゃ左様で有ろうが、己もこうやって来たからには、よくよくだ。そう言わずに渡して遣ってくれ。」
惣「外の事なら兄貴の言う事だから如何でもするが、こればかりは堪忍してくれんねえ。」
綱「それじゃ手前、兄弟分の交誼(よしみ)がねえじゃないか。」
204 惣「よもや交誼(よしみ)が無かろうが一旦頼まれたら渡す事はできません。」
綱「渡されなければ仕方がねえ。己も頼まれた義理づくだ。刀に掛けても受取るぞ。」
惣「いや面白い。そういやこっちもまた刀に掛けても渡さねえ。」
綱「きっと渡さねえか。」
惣「連れて行ける者なら腕づくで連れて行きねえ。」
綱「連れて行かなくって如何する者か。」と双方刀の柄に手を掛けて、立ち上がろうと致しました所へ
下より綱の子分が上って参りまして慌てて二人の中へ入り
子分「親分方、お待ちなさい。今お二人の問答を隣座敷に聞いて居た兼松と言う盗人が
裏梯子(はしご)から表へ出て係りの役人へ自ら名乗り出ました。」と聞いて二人は驚き
惣「さては二人に兄弟の義理を潰さしちゃ済まねえと思い、自ら名乗り出たか。」
綱「悪にも強けりゃ、善にも強いとは、たとえの通りこの兼松とか言う者は立派な男だなあ。」
とそれより綱助惣七の両人は、兼松への差し入れ物を相談に掛りまするお話は明晩申し上げます。

松平大和守斉典(まつだいら なりつね)

1797年(寛政9)〜1850年(嘉永3)、武蔵川越藩 第4代藩主

牧野備前守忠精(まきの ただきよ)

1760年(宝暦10)〜1831年(天保2)、越後長岡藩 第9代藩主
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