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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)敵討義侠の惣七 第19席惣七が木山治六に殺される
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205 | さて申し上げます兼松は目から名告て出まして縄に繋り(かかり)ました。綱助、惣七の両人は牢内(ろうない)の土産として金百両を遣わ(つかわ)しました。その内に兼松は鋼乗物にて川越表へ差し立てに相成りました。惣七は長岡より綱助に別れを告げて新飯田村へ立ち帰りました。ここに大野町の木山治六と惣七との折れ合いも久左衛門が中へ入りまして一旦は中直りには成りましたが、何も心中は睦まじく行きません。すると新潟地方は大野町の木山治六の縄張りですから、カスリはこれまで木山治六が取って居りましたが、この節は惣七の威勢、朝日の昇るが如くその勢いに乗じて新潟へ足を入れ、大概のカスリを取って居りますから、木山は怒って度々小争論も有りました。或る日新飯田村の惣七は、新潟へ趣(おもむ)こうと支度をして居りますると、妻のおさよが |
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さよ「親分何所へお出なさいます。」 惣「新潟へちょっと行って来る」 さよ「そりゃお止めなすった方が宜しうございましょう。」 惣「ナゼおさよ。」 さよ「それでもこのニ三日は夢見も悪いし気にする故か、鳥鳴きも悪いから四五日は何処へも出ずにお出なさい。それとも用が有るなら岩蔵を代りにお遣りなすっから宜うございましょう。」 惣「馬鹿言え、夢見や鳥鳴きが当になるものか。是非とも今日は行かなければならねえ。」と 三太を共に連れまして出て参りました。跡におさよは虫が知らせましたが如何も遣り度ございませんで、何とか用を拵えて(こしらえて)止め様と思いまして外へ出て見るとはや姿が見えません。惣七はその日新潟へ乗り込んで参りました。この時大野の木山治六も白川の虎を供に連れまして古町の池上と申す旅店へ宿を取って居りましたが、惣七の来たのを聞きまして治六は白川の虎に向い |
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治「惣七が来たと言うが、この間からここのカスリの事について色々話もしたが聞き入れず、今日またここへ乗り込んで来てあいつにカスリを取られてはだまっちゃおられねぇ。と言って、争立てれば、ああ言う惣七だから如何な事をするかも知れねえ。それは恐れねぇが、久左衛門が一旦纏めた(まとめた)事だから事を起さば観音寺の顔を潰して(つぶして)しまいはにやならねぇ。それ故、穏便にするのにはチョックリ手前が惣七の宿へ行って丁寧に己が左様言ったと言って新潟丈のカスリは半分遣るからこの末お互いに間違いの出来ない様にお頼み申しやすと言って来い。」 虎「かしこまりましたが親分、余り安目じゃ有りませんか。」 治「仕方がねえ。久左衛門の顔があるから。」 虎「それじゃ行って来ましょう。」と惣七の旅宿へ参りまして面会致しました上 虎「外(ほか)じゃ有りませんが、親分が左様言って遣しました。御存知の通り今までこの新潟のカスリやぁ皆、私の方で取って居たのでございますが、貴方が度々お出向きゆえ、お顔を立てまして半分上げますからその思し召しで間違いの出来ねぇ様、お頼み申しやすと親分が言いつけて遣しました。」 |
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惣「何だと。この新潟のカスリを己に半分くれると。ヘン。惣七は半分計りのカスリは貰わねえ。ソックリ丸で取るんだから帰って治六にこの様言ってくれ。その共にいやと言う惣七は腕づくで取るから、遣るも貰うもあるもんかえ。木山治六は親代々の貸し元だから、カスリ場も有るだろうが、この惣七は一本立腕ッ限り取らなけりゃ大勢の子分を養う事が出来ねえ。」 と帰ってそう言うと、聞いて虎は余りと言えば無法の挨拶とは思いましたが、よん所ございませんから 虎「それじゃ帰ってその由を申しましょう。」と帰りました。 治六この話を致しますると、治六はしばらく考え、虎に向い 治「それじゃ仕方がねえから皆遣ると仕様か。」と聞いて虎は膝(ひざ)を進め 虎「親分、臆病神に取りつかれ、なすったな。新飯田の惣七がそれ程恐ろしいか。一度ならず二度三度、あいつに面を潰されてその上、カスリ場まで言うがままにとられちゃ、貴方はよいか知らねえが、子分の者ぁ如何するのだえ。宜分別して下さい。」 |
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と言葉忙しく申しまするを治六は聞いて、にっこりと笑い 治「虎、静かにしろ。己も大野の木山治六だ。カスリを丸で遣ろうと言うにゃちっとは了簡が有って言うのだわ。」 虎「して、その了簡と言うは。」 治「耳を貸せ。」と何か密語しました。 虎「なるほど、さすがは親分、ちょくりそれじゃ、行ってきましょう。」 とまたまた惣七の旅宿へ参りまして、残らず遣るとの挨拶を致しますると惣七は聞いて喜び 惣「早速の承知、帰ったら宜しく言っておくれろ。そこで一杯遣りたいが、治六親分をお招き申しちゃ済まねえが、自己から行くのも変だから、遊びかたがた来て下せえと言ってくんな。」 虎「畏(かしこ)まりました。」と立ち帰り、白川の虎を連れて惣七の方へ参りました。 これより酒盛と成りまして四方八方(よもやま)の話に時を移しましたが、治六は了簡が有りまするから少しも酔いません。 |
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盃を惣七にばかり差しまする。惣七は何の気も付かず早十二分に酔いました。 治「新飯田は今日は泊るかい。」 惣「いいや、遅くても帰るつもりだ。」 治「それじゃまたこの次にゆっくりとやろう。今日はこれでもうお預かりにしよう。」と 挨拶をそこそこ、虎を連れて立ち帰りました。跡に惣七は酌に呼びました片原のおきんと言って、芸者上りの女を連れまして新堀から船に乗り新潟を立ちましたのは文政の六年四月十七日の夜の四ッ頃及でございました。下りと違い、上りの船の事でございまするから手間が取れまして、漸々白山浦まで参りますると惣七は大刀を船梁に差し、おきんの膝を枕に寝入りました。三太は船尾の方に寝倒れて居りますると、向うより一艘の下り船が惣七の船を目懸けて漕ぎ寄せますると、やがて惣七を乗せた船人がかねて合図の有ったと見え静かに舟を止めますと、彼方(かなた)の舟の中より一人の男長物を抜き苫を捲って寝て居る惣七の脇腹を目懸けて物をも言わず、突き込みましたから、さすが剛気の惣七も不意を打たれて、ウムと言い様に起き上がらんと致しまして刀をつかむ所を引かれましたから、指七本を切り落とされました。 |
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二太刀目を胸に突き込み、一と抉り(えぐり)抉りましたから惣七は無念と一声後に残し、あえなくも一命は信濃川の水の中の泡と消失(きえうせ)ました。 太平の世に生まれまして下等の業ではござりまするが誰一人の助けも受けず、我腕一本をもちまして北越一国に雷鳴を轟かし(とどろかし)、観音寺、石内の両名すら身慄い(みぶるい)をさしました。惣七の半途にして相果てましたは誠に嘆かわしい事でありまする。 或る先生が惣七を博徒中の那波列翁一世とか申されましたが、龍生には何の事だか解りません。 おきんは只驚き声をも上げず慄えて(ふるえて)おりますると、三太はこの隙に川中へ飛び入り抜き手を切って漸々の事で向うの岸へ着きました。この惣七を一刀に刺し殺した曲者(くせもの)はすなわち木山治六でござります。かねて虎とも示し合わせ舟子等にもその由を含ませ置き、惣七の先へ子分を四五人も連れ、顔のわからぬ様に墨を塗り、川の・に待ち伏せまして遂々(とうとう)惣七を仕留めまして喜び勇んで大野へ立ち帰りました。 |
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三太は新飯田を指して飛ぶが如くに参りましたが、その夜の八ッ過でござります。 表の戸を敲き(たたき) 三「開けてくれ。」 岩「喧しい(やかましい)誰だ。」 三「己だ。」 岩「三太か。」 三「三太だ。早く開けてくれ。」 岩「お株を遣っていやがる今開けてやる。」と門の戸を開き、三太の姿を見て吃驚 「如何しやがったのだ。」 三「如何もこうも入った者か。親分が殺された。」 岩「なんだ。親分が殺された。」と「姉さん大変だ。親分に間違いがあったそうだ。起きてください。」 と聴いて、妻のおさよ、長男の雛吉、次女のお若、三男の年蔵も飛び起きて三太を取り巻き、子細を聞くと、白山浦にて何者共知れず惣七を害せし一々聞いて皆々顔を見合わせ、余りの事に涙も出ず、只茫然していました。岩蔵は心を激まし、 岩「姉さん。泣いている処じゃねえ。これから私は三太を連れてその場へ駆け付け、殺した奴を聞き出して、かたきを討たにゃ、子分の道が立たねえ。」 と取り急ぎ支度を致し、三太を連れて白山浦へ来ましたは、翌日の昼頃でございました。 |
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惣七の乗って来ました舟は岸辺に付いていまするから岩蔵は飛び込み、舟の中を見ますると、惣七の死骸は無惨の有様で倒れて居りまするから、岩蔵は直に舟人を尋ね様子を聞きましたが、誰だか分からぬと計りで一向手懸りもござりませんから片原のおきんの方へ行き聞き尋ねましたが、更に分りませんからよんどころなく、お係へ届け、御検使の上、惣七の死骸を引き取り、涙ながらに葬りました。 戒名を釈妙剣刃芒莞位と申しまして、大衆の子分がいとも美事に立てました只今の墓所でございます。さて、四十九日の追善も済ませ、岩蔵はそれより惣七を殺害した者を種々と尋ねますると、新潟の梨子島の舟人与吉と申すは従来惣七の恩義を受けました者ゆえ、段々骨を折りまして、ようやく大野の木山治六の所■と言うを聴き出し、注進致しましたから岩蔵は聞いて大いに喜び・・・新飯田へ立ち帰り |
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岩「姉さん。お喜びなさいまし。親分のかたきが知れました。」 さよ「なに。かたきが知れた。」と面して、「何処の何どと言う者だえ。」 岩「大野の木山治六でございます。」と聞いて、雛吉は 雛「なに。お親父さんのかたきが大野の木山治六だ。」と言いながら長物を打ち込み 出ようと致しますからおさよ、岩蔵は慌てて さよ「早まるはもっともだが今おまえが行ったっても敵手は大野の治六と聴きゃ到底討つ事あ思いもよらないまあ。お待ち。」 雛「それだってこのまま聴き捨てにして片時置く事あ出来ません。」 岩「ごもっともでございすが、こう敵の分った上は、これから貴方が剣術の一と手も覚え立派に名乗って敵を討つが親分への孝行、こぶんの奴らも再び世間へ面出せやすまあ。急がずとも私たちに任して下さい。」 さよ「岩の言う通り。ミスミス行けば負けを取るのを知っては如何して遣られよう。」 岩「たとえ博徒にせよ、破落戸にせよ、親のかたきを打たにゃ、式作法も有ると言えばはなばなしく尋常に遣らなけりゃ親分の恥や。雪げ(すすげ)ましねえぜ。それについて思い当った事がございます。 |
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何時や親分が世話をした上州藤原の金岡伊織先生は、余程剣術の御名人と聞きましたからそれへ貴方をお連れ申して修行の事を願ったら、たちまちかたきを討たれる様に教えて下さいましょうと思いますが、姉さん、如何でしょう。」 さよ「いい所へ気が付いた。それでは雛吉、左様おしな。」 雛「左様言う事に致しましょう。」と俄かに(にわかに)支度に掛りまして、岩蔵を共に連れ新飯田を出立致しましたは同年七月廿日(はつか)の事でございました。日を重ねて上州の藤原へ参りまして、金岡伊織に対面を致し、子細を語り、此処で修行を致す事になり、岩蔵は一とお先に帰りました。新飯田では雛吉が早く上達して立ち帰るを日に夜に待って居りまする。中に娘のお若は漆山(うるしやま)と申す処へ縁付けました。雛吉は一生懸命稽古を致しますると、太刀筋も良く、一を聞いて二を悟りまするから |
216 | 金岡伊織は世話甲斐が有ると喜んで居りますると、その十一月下旬より風の病の床に付きましたから色々介抱致し、医師にも掛けましたが次第に重りまするのみ。金岡は新飯田へ早速、人を遣わそうと存じますれど、余程の雪の烈しい所でございまするから、往来が止り自由が出来ません。その中、遂に翌文政七年二月廿二日に死去致しました。これより三男の年蔵が本所村千間原に於いて父の敵討ちは明晩申し上げます。 |