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三遊亭圓朝校閲 司馬龍生講談 (明治32年出版より)

敵討義侠の惣七 第3席

惣七の父・長兵衛の伝記3

36 引き続いて申し上げます。新平長兵衛の両人は、それより人入八幡屋方へ参り事の仔細を語り、ここに四五日逗留して各自に思案を定め、
新平どん、お前は如何するか知らねえが私は一先故郷新飯田へ立ち返る所存だ。」
新「私も一先故郷上州吉井へ帰るつもりだ。ついではそこまで不思議の縁で兄弟同様にしたが、この上はお互いにたよりをしましょうぜ。」
長「それが第一だ。して上州の吉井で何と言ったら知るえ。」
新「吉井の町で綿屋の新平と尋ねれば、直に分る。是非尋ねて下さい。左様してお前は新飯田で何と言ったら知る。」
長「新飯田は町と村と両方あるから、村の方に来て長兵衛とさえ尋ねれば直に分る。」
と日頃親しく起き臥しを共にしました両人なれば、兄弟と別れる様な心持ちがしまして涙を流し右と左へ立ち別れました。
37 そう長兵衛は日を重ねまして新飯田村へ立ち帰り、村の入口で三左衛門と申して古いなじみがございますから、まずそれへ立ち寄り、勝手口から
長「御免なさいまし、三左衛門様はお宅か、長兵衛でございます。永の年月誠にご無沙汰を致しました。」
と言う声を聞いて三左衛門は立って出て
三「やー長兵衛どんか、どうもどうも、まあ達者でよく帰ってござったなあ。」
長「いやもう漸々(ようよう)の事で帰って参りました。阿叔にもお変りもなくお目出とうございます。」
三「いや変った事もごぁしねえ。さあさあ上らしゃい。」
長「それじゃ御免。」と草鞋(わらじ)を解いて上へ上り
長「やれやれ久し振りでここ家の囲炉裏ばたへ座るわい。」
三「いやもう毎度、村の者が寄るさいすりゃ主の噂べえしていやした。もう村を出て何年になるのう。」
長「足掛け八年になりやす。」
三「えらいもんだ。昨日今日の様に思ったがもう八年になるか。道理で己も年を取ったでがあんす。この年を取ったで思い出したが、名主どんでもこの間、老人達が集合って主の話をしていたっけが、ちょっくり己が行って知らして来るべえ。これお竹や、茶を入れろよ。」
38 長「いい娘子(あねご)がいるが何所の児だえ。」
三「こりゃ主がいる時分に二つか三つだった。斯様(かよう)に大きくなりやしてもう十一だ。お竹、ここへ来て辞儀しろ。身体ばかり大きくなったって何にもしやしねえ。ほんに困ったもんだ。」
長「はいはい。かまわっしゃるな、いい児だわい。」
三「己ぁちょっくり一走り。」名主どんから瀧澤の衆へ知らせようと気軽に出て行きました。程なく瀧澤一家の者も集まりて久々挨拶も済み、その夜はここに一泊致し、その翌日からは名主を始め親類一家の者が代わる代わるに呼びまして馳走を致すなど、かれこれしまする中に名主親類相談の上、元来長兵衛は舟の方を心得ておりますから、安鱇舟(あんこうぶね)と名付けたる小舟を一艘こしらえ、それを長兵衛に渡し、まずとりあえず当時は舟乗りを業に致させ、また名主の世話にて同村の某(なにがし)の娘お種と言う者を妻に迎え、夫婦仲良く暮らしました。
39 さてお話は後へ戻りまして、松江右一郎は即刻父の横死をその掛りへ訴えて出ましたれば検視として監察役それぞれ出張有り、逐一事の状態を糾問ありまして、全く清見駒木おすまを強姦せし末、松江を暗殺致せし事、明白に分りましたから直に清見を呼び出しになります。はや逐電して行方知れざれば、屋敷はその新属へ引き渡しになりました。ここで右一郎父と妹の死骸を泣き泣き菩提寺へ葬りまして七月七日の追善も済ませ、さて自分の妻お勝と申す者の父は山村幸左衛門と申しまして二百石を頂戴して当時御側頭を務めていますから、それへ集まりまして、右一さて舅様亡父ならに妹の儘七日に無難に相務めましたれば、改めてお願いの筋があってはかり越しました。
幸「このたび足下の家の大変、右膳殿は申すに及ばず、妹までがその日も違えず、非業の最後を遂げられた。跡に残りし足下夫婦の悲歎、その心中察しやられる。縁に連がる拙者の事なれば何事に拘わらず遠慮なく諸説れえ。」
40 右「少々多聞を憚り(はばかり)ますれば、お人拂い(はらい)の義を願います。」
幸「宜しい。これよ誰ぞ茶を入れ来。よしよしそれで宜しい。用があれば呼ぶからそちらへ行っておれ。して右一郎の願いとは。」
右「御存じの通り、父右膳清見得四郎の為に討たれ、その無念遣る方なく如何かないたして父の無念を晴らし度、妻お勝とも申し合わせ、決心致しました。只この上は舅様(おじさま)より何卒かた討ちの願いを上(かみ)へ宜しく御取り傍下さる様、その義偏へに願い上たてまつります。」
幸「道理の願い、それでこそ松江の家督、さぞかし右膳殿も草葉の陰にて喜ばれるであろう。早速上へ願ってつかわそう。それまでは謹んで御沙汰を待っていられえ。」
右「何分ともに宜しい願い奉まつります。」
幸「定めてこの中よりの疲労もあらう憂き晴らしに一献酌まん。」とそれより酒肴を調え右一郎に進め、種々に馳走をして返しました。
41 幸左衛門はその翌日未明に登城致しまして、君■にお目通りを致し、右膳が横死について子息右一郎の仇討の願い、逐一言上に及びますると、早速右一郎をお呼び出の上
役「こりゃ右一郎、その方父右膳が為、仇討出立の願い、神妙には存ずるが、少し思う仔細あれば追って沙汰に及ぶまで出立は罷り(まかり)ならんぞ。左様心得ろ。幸左衛門、心得違いを致さぬよう気を付けてやれえ。」
と言うと不■気に言い放ちて下られました。しばらくあって山村幸左衛門を君側へ招かれ、何かご内意あって山村は帰宅に及び、その夜右一郎を呼びに遣わしましたれば、右一郎は夜中ながらも俄か(にわか)に支度に及び、山村の屋敷へ参り、案内をもって奥へ通り
右「今日は色々お世話に相なり、お礼の申し様もございません。して上の首尾は如何でござりますか。先刻の御不■恐れ入りました。」
幸「この事について夜中いざいざ呼びに遣わした拙者■、あれから色々お願い申したが殿には何か思し召しあると見え、この度仇討の出立は相ならぬと思し召し、きってのご沙汰さぞや本意なら思われるであろうが、君命の義は背か(そむか)れず、よんどころない義であって。」
42 右「すりゃ出立。義は如何でも叶いませぬか。あーあ是非には及ばぬ尚此上ともに舅様(おじさま)のお取りはからいを以ってこの中にはお許しに相なるよう、ひとえに願い奉り(たてまつり)ます。」
幸「いやその義は某(それがし)が承知致した。心配致されな。」
右「余り夜更けぬ中にお暇を致しましょう。」
と力も抜けてしほしほと立ち帰る道。お馬先を通りかかりここにて父が横死せしと思うにつけては倶不戴天の父の響なる。清見得四郎己安穏に置くべきかとにらむ目先へきらりと閃く(ひらめく)剣(つるぎ)の光。黒いでたちの一人の武士が行く手に向って立ち塞がり(ふさがり)、物をも言わず斬り付ける右一郎は持ったる提灯投げ捨てて狼籍者と抜き合わす隙もあらせず、又一人が後ろ袈娑(けさ)に斬り付けと左知ったりと身を翻し(ひるがえし)、二人を相手に斬り結ぶ。折から吹け出す呼子の笛に、ここあそこより現れ出たる同じいでたちの武士、都合六人、右一郎を追い取り囲み無二無三に斬り立てました。
43 右一郎は飛鳥の如く怯まず(ひるまず)、火花を散らして戦いましたが、六人の者は遂に散々に斬り捲られ残らず何方へか逃げ去りました。右一郎は後を見送り白刃を提さげてほっと一息吐いていますると後ろより声を掛ける者がありますから、振り向いて見ますると山村幸左衛門でございますから
右「貴君は舅様(おじさま)。」
幸「手練(てなみ)の程は感服いたした。この上は君役へ申し上げ、早速仇討もお許しになるよう宜して吹挙致すであろう。」
右「さては只今の狼籍者は。」
幸「汝の手練(てなみ)を試さん為、迅よりここに忍ばせた我が君様の御仁意で有り。」
右「えーえ左様とも存ぜず、無礼の手対に平に御容赦を。」
幸「いやその斟酌(しんしゃく)には及び申さぬ。何れ明朝、上の御沙汰を相待たれよ。」
右「何分ともに宜しく。」
幸「しからばこれにて。」右「お別れ申すでございましょう。」とそれより両人は右と左へ別れました。
44 山村幸左衛門は翌朝に相なりますると、早速登城致した上、昨夜の次第右一郎の働き一々言上に及びますると君にも殊の外、お喜びにて早速右一郎夫婦をお呼び出しなり、お土産を下されかたき討ち御免状並びに国光のおん差料金子百両拝領に及び本望成就致した上、花咲く三春へ立ち帰れとお辞を下されました。右一郎夫婦並びに山村幸左衛門はありがた涙に袖を濡らしまして君側を下りました。右一郎は宅を片付け出立の日を定めて山村幸左衛門の宅へ参り、これまでの厚き心添えを謝しました。
幸「さて右一郎殿、出立は何日に相定めた。」
右「善は急げの常言(たとえ)もござりますれば、明後四日と相定めました。」幸「成程」と指を繰りまして
幸「うむ大安日の当れば至極宜しい。しからば明日はお勝諸共御入来下さい。仇討出立の送別を致そう。」
右「何から何までお心を添えられ、お礼は言葉につくされません。もはやお暇を致します。」
幸「ああ左様か。今日はかまいも致さず、明日は必ず早く参るが宜しい。」
右「有難う存じまする。」とそのまま宅へ帰りまして、妻のお勝に舅(しゅうと)の志を話し、翌日に相なりますると早々旅の支度を致しまする。
45 山村は頸(くび)を長くして待っておりまする所へ右一郎夫婦参りました。
幸「先程から待っていた。さあさあこの方へ。」
右「お詞に従い推参致しましてござります。」
お勝「このたびは何から何まで父上様のお心添え有難う存じます。」
幸「いやいや、その礼には及ばん。別段越向は致さんが、ほんの有合の者で目出度一献酌みましょう。これこれ先程申し付けた支度に及べ。」とこれより酒肴を持ち出し親戚三人盃を交換す中にもお勝は、父幸左衛門の顔を見て何となく胸迫り、落ちる涙にかくし鼻し拭みながら
お勝「行く先々よりお手紙は差し上げますが、父上様も追々にお年も重なりまするから随分お身を大切に遊ばして下さる様、こればかりが心掛りでございます。」と涙ぐむ。
幸「いや手前は年を取ってもこの通り丈夫だから心配致すな。こりゃお勝よく承れ。その方一旦松江家へ嫁し付いたからは、自己は親ではない。右膳殿が親じゃぞ。その親の仇を討ちに夫の共を致すと言うはこの上もない幸せ者だ。
46 良や十年廿年の永の年月を重ねるとも、天晴、夫の片腕となってさすがは三春の家中山村幸左衛門が娘子じゃと天下に美名を揚げてまいれ。これ過ぎ去りし右膳殿、おすま殿の追善供養ばかりでない。三春一家中の武名を輝やかすと言う者じゃぞ。右一郎殿は元より、文道の達人なれば如くこの事は千も万も御承知だが、そなたは女子の事なれば老人の役目に一と言申して聴きしておいたのだ。さあこれからは賑やかに家内どもを集めて酒宴をしよう。」に智仁勇の三徳を備えました。
誠の武士の幸左衛門が表面は立派に勇み立ちまするが、真底の悲しみは龍生が申しますまでもなく、皆様のお心でお推察遊ばしませ。これより夜のふけるまで話合いまして、早丑満(うしみつ)も過ぎる頃、ようようにして枕につき、翌朝早く起き出、朝げもしまい、右一郎幸左衛門の前へ出て
右「最早出立つかまつります。」
お勝「左様ならは、お父上様。」
幸「もう支度が出来たか。昨夜も申す通り、必ず卑怯(ひきょう)の真似をしてならんぞ両人。」
47 「委細承知つかまつりました。」とこれより玄関へ出まする。続いて幸左衛門は見送ります。右一郎は草鞋(わらじ)を穿いて(はいて)立ち上るに、お勝は草履(ぞうり)を穿きながら
勝「左様なればお父上様。」
幸「ええ、まだぐずぐず致しておるか。未練者めが。」とこの一と言に励まされ、二人は心残して立ち出ました。下男の源蔵は城下はずれまで荷物を持って送りました。これより右一郎お勝、越後の国に於いて大難に出遭うの一條は明晩にくわしく申し上げます。
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