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三遊亭圓朝
校閲
司馬龍生
講談 (明治32年出版より)
敵討義侠の惣七 第15席
惣七が江戸へ
163
さて昨晩のお後を申し上げます。
惣七
は
観音寺村
を出立致しまして、
信州善光寺
から
上田
へ参りました。この時
惣七
は
松江右一郎
へ久々ご無沙汰を致しましたから
鍛冶町
へ参りまして、尋ねますると直に分かりました。
惣七
は
右一郎
に対面し、また倅(せがれ)の
縫之助
にも会い、色々の物語りを致しました。この時
右一郎
は六十歳に相なりました。妻の
お勝
は先年相没しました。倅(せがれ)
縫之助
は妻を迎え、その名を
お梅
と申して夫婦の中に
周蔵
と申す倅(せがれ)を設けました。その夜は
右一郎
孫を儲けし話などを致して夜を明かし、翌日
惣七
は
上田
を出立致して、日を重ねて江戸へ参りました。直に
浅草堂
前の貸し元
源太郎
方へ来て
164
惣「私は越後
観音寺村
の
久左衛門
の処から参りました。こちらの親分さんがお宅ならお目に掛りとうございます。」
と聴いて女房の取次ぎで奥へ通りますると
源「さぁお客様、こっちへお出なさって下さい。」
惣「これは始めましてお目に掛ります。私は
越後国蒲原郡新飯田村
の
惣七
と申しまして、昨日今日の若者でございますが、以後はお心易くお願いします。」
源「これは御丁寧なご挨拶、私が堂前の
源太郎
でございます。以後何分宜しくお交際を願います。そして何か御用があってこっちへお出掛けになりましたか。」
惣「左様でございます。委細の事はこの手紙に詳しく書いてございますから。」
と
久左衛門
よりの手紙を出しました。
源太郎
は受け取り読み終わりまして
源「お手紙の越しむきは承知しました。それじゃお前さんは
寺泊
と云う処で
木山の子分太吉
と云う者を打ち殺しなすったのだね。」
惣「殺す気もなかったが、つい怪我で遣っつけました。」
165
源「よろしゅうございます。まぁ私の宅にお出なさい。その代わりおかまい申す事はできませんが、しばらくの内辛抱なさいまし。」
と
源太郎
も
惣七
のさっぱりとした気性を愛しまして何くれとなく、いと親切に世話を致しまして、先はここに足を留めまして、
惣七
は江戸は始めての事でござりまするから今日は
浅草の観世音吉原向島
、明日は
上野筋違日本橋
、あるいは
両国回向院
と子分をつけて見物をさせました。或る日
惣七
は
源太郎
に向い
惣「兄貴今日はぶらぶら観音様へ行って来ようと思うが如何だろう。」
源「お天気がよいから行って来るのもよかろう。誰かつけて遣ろうか。」
惣「この間だ。一辺行ったから今日は一人で行って見よう。」
と支度を致して金龍山の奥山へ参り、あっちこっちと見物した末、中店から雷門を出まして並木町へ掛りました。見ると煙草屋がございまするから
惣七
は店先へ参りまして
惣「煙草のいいのを一つ下さい。」
主人「へい。」と云いながら
惣七
の顔を見て
主人「貴方は
新飯田
の親分様ではございませんか。」と云われて
惣七
、主人の顔を見て吃驚(びっくり)
166
惣「おや誰かと思ったら
大野
の
国太郎
さんじゃないか。」
国「どうもまぁ思い掛けない。親分様如何してお出になりました。お上りなさいまし。
お粂
や。
新飯田村
親分様がお出になった。」と聴いて
お粂
は奥より駈け出しまして
粂「おや親分様、よくまぁお出になりました。さぁお上りなさいまし。」
惣「これは
お粂
さんかへ。」
国「さぁお上り下さいまし。」
惣「それじゃ御免なさいよ。」と上へ上り、奥へ通ります。
国太郎
夫婦は
惣七
の前へ手を突きまして
国「さて親分様、その節は有難うございました。私共を助けて下すったのみならず、夫婦にまでもして下さった御恩の程は片時も忘れた事はございません。」
粂「毎日お噂を致さない日はございません。よくまぁお出なすって下さいました。」
惣「それは左様と、お前方二人がこの江戸へ来て、こうやっていなさるとは少しも知らずにいました。如何した訳でこの江戸へ出てなすったのだ。」
167
国「その仔細を申しまするのは、親分には御存じもございませんが、元々
木山の治六
さんをお頼み申して私共二人を夫婦にしてくれまする様おっしゃって下さったを、ああ云う固い親爺だから断りました。その夜の事、はからず貴方に助けられ夫婦になったを遺恨にして、当分の中、江戸へ出る事にして、この
浅草の三軒町
のつき米渡世を致しまする
越後屋嘉平次
と申します者は、私の実の叔父、それへ頼って参りまして、叔父の世話で只今はこの並木町へ煙草店を出しましたが、おかげと繁盛致します。」
粂「そうして親分様は江戸見物でございますか。」
惣「いや左様云う訳ではないが、私も
木山治六
の子分から少し国にはいられねいのでこの江戸へ参りました。」
国「して只今は何方にお出でございます。」
惣「堂前の
源太郎
と云うところに居ります」
国「ともかくも親分様、私の宅へお出を願います、なぁお粂」
粂「おかまい申しはしませんが
168
幸い二階もあいていますから夫婦の者の御恩送り、たとえ三日お出なすって下さいまし」
国「三日どころか一生涯お世話を申し上げたとしたとて御恩は返せません」としいて留められて
惣七
も是非なく。
惣「それじゃ御厄介になりましょうが今日は一と先立帰って明日からお世話になりましょう。」
国「何卒ぞ左様して下さいまし。」
粂「必ず待っております。」とこの中に酒肴を持ち来たりまして
惣七
に馳走を致しますと、夕景に
惣七
は立ち帰りまして、
源太郎
へこの由を話し、翌日から
国太郎
の所で厄介になりました。すると五月廿八日は
両国
の河開きでございますから
国太郎
は
国「もし親分様、今日は
両国
の河開きで大分賑やかでございますから行ってご覧なさいませんか。」
惣「なるほど話には聞いていたが国の土産に行って見ましょう。」
とそれより
両国
へ参りました。見ると噂よりも賑やかでございます。芝居の小屋手品軽業祭文ちょぼくれ色々の見世物が出ております。
169
橋の上は人の山をなし、河は舟にて水面もわからずさすがの
惣七
も実に目を驚かせました所へ、向うから頬かむりを致した一人の男が突然
惣七
に突き当りましたから
惣「あ痛ぇ、気をつけろ。」と懐中を捜しますると紙入れがございませんから、あわててその男を捕まえ
惣「飛んだ野郎だ。紙入れを出せ。」
男「私ちゃ、おめえさんの紙入れは知りません。」
惣「知らねぇ事があるものか。たった今、己の懐中から取ったに違いねぇ。」
男「なんだ、己が紙入れを取った。面白い。取ったと云うなら裸体になって見せるからよく見やがれ。」
と三尺を解き裸体になり振って見せましたが紙入れは早くも相騙(あいすり)に渡してしまってありません。かかる事とは
惣七
は知りませんから、ただその男の仕業とのみ思いつめ
惣「かくさずと出せ。」
男「裸体になって見せても未だおめえにゃわからねぇか。よくも己を泥棒にしやがった。明かりを立てろ。」
と言葉づめにされて
惣七
は当惑を致しまする所へ向うの桟橋へ付いた舟の中から出ました男は、年の頃廿七八で衣装は薩摩上布の帷子(かたびら)博多の帯びろの羽織をたたんで懐中へ入れ芸者を二人連れまして
170
男「おい
箱屋
の吉公手前深川亭へ行って涼しい所が空いているかちょっくり聴いてきてくんな。」
吉「かしこまりました。」と深川亭へ参ります。跡にその男は大勢の人を押し分け
男「何でございます。」
〇「なーに、今巾着(きんちゃく)切りが捕まったんだ。」
男「左様でございますか。悪い奴は捕まった方がようございます。」
と見ますると、今
惣七
はスリの為に詰められまして困っておりまするから、右の男は芸者に向いまして
男「おい
小花
ちゃん、美の吉ちゃん、己は後から直に行くから、おめえ達は二人で先へ深川亭へ行きねぇ。」
芸者「それじゃお先へ行きますから直にいらっしゃい。」
と二人は深川亭へ参りました。後で右の男は
惣七
とスリとの中へ入りまして
男「如何したんです。」
惣「どなたか知りませんがこいつが私の紙入れを何でも取ったに違いないと思いますが。」
171
スリ「未だその様な事を云っていやがる。何処へ取ったぇ、よく見ろ。」
男「大方、相スリにでも渡したんだろう。紙入れをこのお方に返せ。返さなければこうだ。」
と拳骨(げんこつ)で横面を打ちましたからスリは面をかかえて何方へか逃げてしまいました。右の男は
惣七
に向い
男「何しろお前さんは御災難だ。この頃は悪い奴が多くって困ります。」
惣「誠に有難うございました。」
男「ともかくも私と一緒にちょっとお出を願います。」と先に立って参りますから
惣七
も何処の者かは知りませんが、よんどころなくついて参りますると、かの男は深川亭へ上りまして
男「さぁこっちへお上りなさいまし。」
惣「有難うございますが。」
男「いやちっとおまえさんにお聴き申したい事がありまするから、それでお連れ申したのでございます。遠慮はいらないからずっとお先へお出なすって下さいまし。」
芸者「あの旦那、今
箱屋
が迎いに来ましたが、如何しましょう。」
男「今日はお前達も書き入れだから行って来いねぇ。」
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芸者「そんなら左様しておくんなさい。開き次第直に来ますよ。
小花
ちゃん、ちょっと行って来よう。貴方ごゆるりと。」
芸者
箱屋
は皆帰りました。右の男は
惣七
に向いまして
男「先刻からおまえさんのお詞を聞くに越後ございますね。」
惣「越後でございます。」
男「越後は何方でございます。」
惣「
三條在の新飯田
と申す所でございます。」
男「なに
新飯田
だ。それじゃおまえさんに聴いたら知れるだろうが、永らく
三春
にいた
長兵衛
と云う人を御存じかい。」
惣「へい、それは私の父でございます。」
男「それじゃおまえさんは
惣七
さんとおっしゃるかな。」
惣「よく御存じです。いかにも私が
惣七
でございます。左様云う貴方は。」
男「そんなら
惣七
さんでございましたか。悪い事ぁできねぇものだ。実は私は
上州
の
新平
の倅(せがれ)
兼松
と申す者でございます。」
惣「それじゃ私の子供の時分、来なさった
新平
さんのご子息でありましたか。」
兼「思い掛けない所でお目に懸りました。何はさておき、今取られなすった紙入れは金でも入っていましたか。」
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惣「金はわずか三十五両だが、書付がありますから。」と話を聴いて
兼松
は表の方を見ておりますると通り掛った一人の男がござりまする。
兼「おいおい
銀次
、ちょいと来てくれ。」と右の男を呼び込みまして、何か耳打ちを致しますると男は出て参りました。しばらく立って右の男は帰って来まして
兼松
の側へ来て懐中から包んだ物を出して渡しました。
兼松
は受け取って
兼「よしよし。」して二人は
銀「今下へ連れて来ました。」
兼「もし
惣七
さん、取られた紙入れはこれでございますか。」
と包みの中より紙入れを出して
惣七
に渡しました。
惣七
は不思議そうに見て
惣「もし如何してこの紙入れがお前さんに。」
兼「中を改めて見て下さい。」
惣「中に間違いはございませんが、この紙入れがお前さんの手に如何して入りました。」
兼「実は私はこの巾着(きんちゃく)切りのカスリ取り、幻の
兼松
と云う盗賊でございます。」
惣「えっ、何だぇ。」と驚きました。
兼「
惣七
さん、お前さんの紙入れを取ったのは、この二人でございましょう。」
惣七
は見ると最前裸体になった巾着切りでございますから吃驚(びっくり)致しました。これより
惣七
、
兼松
深川亭を出まして、
今戸の
兼松
の宅へ参りますると云うお話は明晩申し上げます。
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