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西洋なし/ル・レクチェ発祥地 直江兼続と白根大凧合戦 旧白根市新飯田の歴史 白根の架け橋 白根が生んだ彫刻家・千野茂 白根の蔵(くら)水倉 |
白根の架け橋最初にことわっておきますが、中ノ口川は中之口川ではありません。管理者の方々、ご確認を。新潟県旧白根市は、信濃川と中ノ口川に囲まれており、 江戸時代より水運が盛んで、地域各所には船の着船場がありました。 明治の頃より多くの木橋が架けられた。 昭和39年の新潟地震でほとんどの橋が落橋し架け替えが行われた。 順に中ノ口川の上流から。 |
新飯田橋(にいだばし)中ノ口川に架かる新飯田橋は1936年(昭和11年)に完成しました。地元古老のお話では、 1929年(昭和4年)に完成した新潟信濃川に架かる万代橋をモデルにこの橋が造られたと言う事です。 昭和39年6月16日の新潟地震にも耐え、竣工78年を迎えた橋で未だ現役で活躍しています。 燕市と加茂市をつなぐ路線として、この新飯田橋は重要な役割を果たしてきた。 老朽化もさる事ながら、近年では交通量も益々増え、迂廻路となる新設の橋が望まれるところです。 ◆ 新潟地震は新飯田祭りの日、午後1時2分頃に起こり、新飯田の人々には忘れる事のない出来事です。 中ノ口川の歴史は、直江兼続と白根大凧合戦へどうぞ。 ◆ 白根市史によれば、新飯田橋の架かる前に、開運橋と言う名の橋が明治35年に竣工した。 大正7年の洪水により落橋以来、渡しによる交通だったとの事です。 新飯田の渡しと呼ばれていた。 また古老の話によれば、新飯田から三条市代官島に通じる旧街道の福田川には、 昭和初期頃まで木橋があったという事です。 児ノ木頭首工/児ノ木橋(ちごのきばし)昭和51年8月竣工 西蒲原土地改良区により用水確保のため設置された。 歩行者のみの通行が可能です。 両郡橋(りょうぐんばし)平成21年3月29日竣工 全長108m 幅17.5m(車道部10.5m+両側歩道部3.5m) 県道9号線(長岡栃尾巻線 通称:加茂巻線)の両郡橋の老朽化により新しい橋に架け替えとなった。 両郡橋の由来は、中蒲原郡と西蒲原郡を結ぶ橋として命名されたようです。 西蒲原郡中之口村(旧六分村)の山田様(山田平太郎氏)から中蒲原郡清水村に橋の無かった時代に お嫁に嫁がれる際、山田様が木橋を作られたお話が伝承されています。 初代橋は明治23年9月に、2代目橋は昭和9年10月18日に竣工。 新しい両郡橋(三径間連続鋼板桁橋)は3代目となります。 11時より開通式典が行われ、篠田昭新潟市長をはじめ、関係者によりテープカットが行われました。 篠田昭新潟市長を先頭に両郡橋の渡り初めが行われました。 こちら側の2代目両郡橋は取り壊される事となりました。 建設当時の昭和9年には、トラス構造型の橋としては近代的なものでしたが、北陸自動車道・巻潟東ICへアクセスする車の増加や大型車のすれ違いが困難を極め、老朽化も手伝い、平成6年より工事が開始され、架け替えとなったものです。 ちょうど写真撮影したこの場所は、江戸時代から昭和初期にかけて、旧中之口村六分の舟の着船場だったところです。 清水の渡しと呼ばれていた。この上流500m付近には三方の渡しもあった。 2代目両郡橋の解体工事が平成21年12月から始まりました。 平成22年3月までには撤去される予定です。最後の雄姿となった。 針ケ曽根頭首工/針ケ曽根橋昭和50年8月竣工 西蒲原土地改良区により用水確保のため設置された。 歩行者の通行が可能です。 月潟橋(つきがたばし)昭和44年11月22日竣工 全長203m、幅7.5m、歩道1.5m 昭和24年に架設された旧月潟橋(木橋)が架け替えられた。 昭和42年頃(当時5歳の頃)に、母と月潟祭りを見に行った際に木橋を渡った思い出があります。 土ぼこりのたつ橋でした。 建設当時は、中ノ口川の西側に新潟交通電車線が走っており、電車の上を越える陸橋として建設された。 木橋が架かる前は、茨曽根の渡しと呼ばれていた。 萱場橋(かやばばし)昭和41年3月竣工 幅3.5m 旧白根市側は東萱場(ひがしかやば)地区、 旧月潟村側は西萱場(にしかやば)地区であり、 萱場地区に架かる橋です。 昭和39年6月16日の新潟地震で落ち、昭和39年12月から災害復旧事業として工事が行われ、 昭和31年に架けられた旧萱場橋(木橋)が架け替えられた。 木橋が架かる前は、萱場の渡しと呼ばれていた。 戸頭頭首工/四ツ合橋(よつごうばし)昭和50年8月竣工 西蒲原土地改良区により用水確保のため設置された。 歩行者の通行が可能です。 富月橋(ふげつばし)昭和48年3月竣工 全長112m、幅12m、両側1.5m歩道 北陸自動車道整備関連事業として、県道バイパス工事(通称:白根巻線)が行われ、 国道8号線から巻潟東ICへ通じる橋として富月橋が架けられた。 1993年(平成5年)4月1日に、国道460号線に昇格しています。 凧見橋(たこみばし)昭和49年3月竣工 全長82m、幅2.5m 富月橋と白根橋の間に架かる歩行者専用橋で、白根大凧合戦の見物用に架けられた橋です。 また当時、旧富月橋が白根と西白根の往来や新潟交通電車線の白根駅を利用する人達にとって必要とされ、富月橋を通ると遠回りになる事から、旧富月橋(木橋)の架け替えでこの橋が作られ、新しく凧見橋と命名された。 明治10年に架けられた旧富月橋は昭和48年10月に取り壊された。 白根橋(しろねばし)昭和41年3月竣工 全長84m、幅4.5m 昭和39年6月16日の新潟地震で昭和27年10月に架けられた旧白根橋(木橋)がダメージを受け、 災害復旧事業の県道整備事業工事として架け替えが行われた。 味方橋(あじかたばし)昭和50年3月31日竣工 全長240m(河川橋102m、味方側陸橋138m)幅9.3m、両側1m歩道 建設当時は、中ノ口川の西側に新潟交通電車線が走っており、電車の上を越える陸橋として建設された。 またこの橋が建設される前に、中ノ口川の堤防かさ上げが行われた。 味方歩道橋昭和52年3月31日竣工 全長106m 幅2.5m 昭和51年6月より、昭和7年に竣工した旧味方橋(2代目)が取り壊され、その橋脚を利用して架け替えられた。 初代橋は、明治20年3月竣工。 こちらは軽車両以下(自転車や歩行者など)が通行できます。 味方橋が勾配が急なため、歩行者専用に利用されています。 高井橋(たかいばし)昭和41年3月31日竣工 幅3.5m 昭和39年6月16日の新潟地震で落ち、昭和39年12月から災害復旧事業として工事が行われ、 昭和31年に架けられた旧高井橋(木橋)が架け替えられた。 根岸橋(ねぎしばし)昭和41年3月竣工 全長85.7m、幅4.5m 昭和39年6月16日の新潟地震で昭和23年に架けられた旧根岸橋(木橋)がダメージを受け、 災害復旧事業として架け替えが行われた。 新潟中央環状道路(中ノ口川大橋)新潟中央環状線の中ノ口川に架けられた新設の橋が工事中(2018年7月23日撮影) 右は新潟市中央環状線の黒崎PA方向 中ノ口川大橋は2021年2月15日竣工 松橋橋(まつはしばし)昭和41年3月31日竣工 幅3.5m 昭和39年6月16日の新潟地震で落ち、昭和39年12月から災害復旧事業として工事が行われ、 昭和31年に架けられた旧松橋橋(木橋)が架け替えられた。 中塩俵橋昭和31年6月竣工 全長80m余り 幅2.5m? 橋幅は写真で見るよりも現況は狭く、通行する車を見ていたところ、軽トラックがスレスレに通れる幅です。 普通乗用車は通行不可能と思いますが、橋ゲートが設置されており、ちなみに私の普通乗用車は通れそうにない幅でした。 大野大橋平成17年9月30日竣工 全長143m 国道8号線4車線化拡幅工事により新しく架け替えられた。 大野橋昭和43年5月竣工 全長112m |
順に信濃川の上流から |
景雲橋(けいうんばし)・三条市内平成元年10月竣工 旧景雲橋は、中学生の頃、自転車で三条に買い物に行った時には木橋で通ったものだ。 車が一台しか通れない幅で、対面通行もできなかった。 田中角栄氏がこの木橋を車で通ったところ、「今時まだこんな橋があるのか」と架け替えとなったそうだ。 大島頭首工・三条市内白根郷の田んぼの水はこの大島頭首工から取水される。 管理者以外は立入禁止で、一般歩行者はここを渡れない。 配管は加茂郷へのパイプラインで信濃川の上を通る。 加茂大橋(かもおおはし)・加茂市内平成22年12月4日竣工 全長505.8m 県道9号線(長岡栃尾巻線 通称:加茂巻線)の加茂川西地区と須田地区の信濃川に架かる橋が完成。 五反田橋(ごたんだばし)・加茂市内昭和59年10月竣工 全長532.5m 昭和7年に竣工した2代目の旧五反田橋はわずか上流側にあり老朽化により架け替えられた。 初代橋は、大正4年8月竣工。 県道9号線(長岡栃尾巻線 通称:加茂巻線)の加茂五反田と加茂川と信濃川の合流付近に架かる橋です。 庄瀬橋(しょうぜばし)昭和42年3月25日竣工 全長237m 昭和39年6月16日の新潟地震で昭和27年に架けられた旧庄瀬橋が落ち、 災害復旧事業の県道整備事業工事として昭和40年7月より架け替え工事が行われた。 木橋が架かる前は、庄瀬の渡しと呼ばれていた。 西側は河川敷を利用したスロープになっているため、大雨洪水時は通行止めとなります。 小須戸橋(こすどばし)昭和38年12月竣工。初代橋は、明治36年10月に竣工。洪水で2度流出した。 木橋が架かる前は、戸石の渡しと呼ばれていた。 西側は河川敷を利用したスロープになっているため、大雨洪水時は通行止めとなります。 臼井橋(うすいばし)昭和46年8月30日竣工 全長263.5m、幅8m、両側1m歩道 初代橋は、昭和2年1月竣工(木橋)木橋が架かる前は、赤渋の渡しと呼ばれていた。 東側は河川敷を利用したスロープになっているため、大雨洪水時は通行止めとなります。 現在の臼井橋の上流側に、国道460号線パイパスとして新しい橋が建設中。 信濃川西側の臼井地区より(平成27年6月25日撮影)27年度開通予定。 大郷橋(だいごうばし)昭和41年3月竣工 全長137m、幅6m 昭和39年6月16日の新潟地震で昭和10年に架けられた旧大郷橋が落ち、 昭和40年4月から災害復旧事業の県道整備事業工事として架け替え工事が行われた。 両側は河川敷を利用したスロープになっているため、大雨洪水時は通行止めとなります。 |
滝沢直紀 |