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白根の蔵(くら)
昔から旦那様のお宅の屋敷内には立派な蔵(くら)があると言われる。
子供の頃、親の言う事を聞かなかったり悪さをすると、「蔵に入れるぞ」と言われた人もいると聞くが、
電気もなく薄暗く、適度な温度と湿度があり、何か薄気味悪かった覚えがある。
滝沢農園の蔵(くら)は、本宅よりかつて盛土2m程の上にあったが、
改築の際、盛土高さを約半分けずって造られた。
現在では、味噌や野菜などの保管庫としている他に、
予備のフトン・座布団や使わなくなった火鉢・家具類などを保管している。電気はつなげていない。
◆
『隣のうちに蔵建てば、わしゃ腹が立つ』とか、『作が良いと、蔵が建つ』とか言われている。
【蔵が建つの意味:金持ちになるのたとえ】
酒蔵や味噌蔵などの蔵元(くらもと)とは違い、生活品の一部を保管するわずかな建物でもある。
清水地区の鉢巻蔵(はちまきぐら)で、蔵に家紋が入れてある。
天井部分と軒下部分が吹き抜けになっていて、通風できる作りの蔵だということだ。
白根の歴史/洪水の歴史を物語る水倉
白根市史には、「水倉」の記述がある。
『白根市史 巻七通編 第9章 治水と災害 第1節 治水』より(平成元年3月7日発行)
「
水倉
」を「治水」と考えるのに抵抗を感じないわけではないが、一応取り上げることとした。ここでいう「
水倉
」とは、洪水による湛水から逃れるため、屋敷内に土盛りをして建てた倉である。中に食料、家財などを入れておき、洪水の時に生活できるようにもなっていた。 また、舟の準備をしておく所もあった。近世末期から造られ、多くは明治期になってから造られた。
主に白根、臼井より北部にある倉をそのように呼んだ
。 近代的な治水工事が施され、洪水の危険が遠のいた今日、洪水の歴史を物語るものでもある。
左は高井興野地区の水倉。盛土高さ3m程の上に水倉がある。
中ノ口川だけでなく信濃川の洪水からも逃れるため、米蔵用に造られたそうだ。
天井部分と軒下部分が吹き抜けになっていて、通風できる構造の蔵。
右は山崎興野地区の水倉。盛土高さ3m程の上に水倉がある。
臼井・中山地区の水倉。盛土高さ1.5m程の上に水倉がある。
白根の地区別【くら】の呼び方
蔵と倉の違いについては、建築構造的な違い(土か木または縁の下があるかないか)によって使い分けられている
ようだが、用途(貯蔵の意味)からして白根では蔵の字を使っているところが多い。
地区名
【くら】の呼び方
新飯田
蔵(くら)
清水
蔵(くら)
古川新田・兎新田
蔵(くら)
庄瀬
蔵(くら)
菱潟・牛崎
蔵(くら)
丸潟
蔵(くら)、倉(くら)
上木山・下木山
蔵(くら)
高井興野
水倉(みずくら)
山崎興野
水倉(みずくら)
臼井・中山
水倉(みずくら)
西笠巻・西笠巻新田
くら?
東笠巻・東笠巻新田
蔵(くら)
大郷
蔵(くら)、倉(くら)
【参考まで】
米を貯蔵する場所を米蔵と書くが米倉とは書かない。ただし米倉庫とは書く。
地元では、水倉と呼ばれているところは一部で、便宜的に呼ばれているようだ。
滝沢直紀
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