新潟白根 滝沢農園
滝沢農園トップ
新潟こしひかりBL産地直送
新潟こしひかり産地直送
新潟こしひかりBL栽培
お米ができるまで
お米の農業機械
お米の農業機械
新潟こしひかりBLの注文フォーム
新潟こしひかりのご注文からお届けまで

白根の蔵(くら)

昔から旦那様のお宅の屋敷内には立派な蔵(くら)があると言われる。
子供の頃、親の言う事を聞かなかったり悪さをすると、「蔵に入れるぞ」と言われた人もいると聞くが、
電気もなく薄暗く、適度な温度と湿度があり、何か薄気味悪かった覚えがある。
蔵(くら)
滝沢農園の蔵(くら)は、本宅よりかつて盛土2m程の上にあったが、
改築の際、盛土高さを約半分けずって造られた。
現在では、味噌や野菜などの保管庫としている他に、
予備のフトン・座布団や使わなくなった火鉢・家具類などを保管している。電気はつなげていない。

『隣のうちに蔵建てば、わしゃ腹が立つ』とか、『作が良いと、蔵が建つ』とか言われている。
【蔵が建つの意味:金持ちになるのたとえ】
酒蔵や味噌蔵などの蔵元(くらもと)とは違い、生活品の一部を保管するわずかな建物でもある。
蔵(くら)
清水地区の鉢巻蔵(はちまきぐら)で、蔵に家紋が入れてある。
天井部分と軒下部分が吹き抜けになっていて、通風できる作りの蔵だということだ。

白根の歴史/洪水の歴史を物語る水倉

白根市史には、「水倉」の記述がある。
        『白根市史 巻七通編 第9章 治水と災害 第1節 治水』より(平成元年3月7日発行)
 「水倉」を「治水」と考えるのに抵抗を感じないわけではないが、一応取り上げることとした。ここでいう「水倉」とは、洪水による湛水から逃れるため、屋敷内に土盛りをして建てた倉である。中に食料、家財などを入れておき、洪水の時に生活できるようにもなっていた。 また、舟の準備をしておく所もあった。近世末期から造られ、多くは明治期になってから造られた。主に白根、臼井より北部にある倉をそのように呼んだ。 近代的な治水工事が施され、洪水の危険が遠のいた今日、洪水の歴史を物語るものでもある。
左は高井興野地区の水倉。盛土高さ3m程の上に水倉がある。
中ノ口川だけでなく信濃川の洪水からも逃れるため、米蔵用に造られたそうだ。
天井部分と軒下部分が吹き抜けになっていて、通風できる構造の蔵。
水倉(みずくら)水倉(みずくら)
右は山崎興野地区の水倉。盛土高さ3m程の上に水倉がある。
水倉(みずくら)
臼井・中山地区の水倉。盛土高さ1.5m程の上に水倉がある。

白根の地区別【くら】の呼び方

蔵と倉の違いについては、建築構造的な違い(土か木または縁の下があるかないか)によって使い分けられている
ようだが、用途(貯蔵の意味)からして白根では蔵の字を使っているところが多い。
地区名【くら】の呼び方
新飯田蔵(くら)
清水蔵(くら)
古川新田・兎新田蔵(くら)
庄瀬蔵(くら)
菱潟・牛崎蔵(くら)
丸潟蔵(くら)、倉(くら)
上木山・下木山蔵(くら)
高井興野水倉(みずくら)
山崎興野水倉(みずくら)
臼井・中山水倉(みずくら)
西笠巻・西笠巻新田くら?
東笠巻・東笠巻新田蔵(くら)
大郷蔵(くら)、倉(くら)
【参考まで】
米を貯蔵する場所を米蔵と書くが米倉とは書かない。ただし米倉庫とは書く。
地元では、水倉と呼ばれているところは一部で、便宜的に呼ばれているようだ。

雪ん子滝沢直紀メール
inserted by FC2 system