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NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(原作:司馬遼太郎)には 山本権兵衛海軍大将(後の総理大臣)【演:石坂浩二】が登場します。 その山本権兵衛の妻・山本登喜子夫人は、 新潟県蒲原郡菱潟村(旧:白根市菱潟、現:新潟市南区菱潟)で生まれた農家の次女でした。 山本権兵衛海軍大将の妻/山本登喜子山本権兵衛は鹿児島出身で、日露戦争時の海軍大将で、大正時代に第16代・第22代の内閣総理大臣であります。 明治10年(1877年)12月16日に登喜子夫人と結婚いたしました。 (写真は津沢家所蔵 左:山本権兵衛、中央:晩年の山本権兵衛と登喜子夫人、右:登喜子夫人)
当時の菱潟村は読んで字の如く潟が多い村で、 明治初期の頃は、大河津分水路もまだできてなく、 大雨洪水時は信濃川が破堤し農作物に被害が出て、生活にも苦労したそうです。 このため津沢家では子供のトキを東京へやったのだろうと伝えられているそうです。 なお、『明治大臣の夫人』(著:岩崎徂堂 大学館1903年)、 復刻版『明治大臣の夫人』(著:岩崎徂堂 大空社1994年)では、「南品川の箸屋」と記されている。 ◆ 国立国会図書館近代デジタルライブラリー『明治大臣の夫人』(著:岩崎徂堂 大学館1903年) 「山本権兵衛夫人」コマ番号45〜52でお読みいただけます。 津沢家過去帳より
登喜子夫人は4人兄弟姉妹で、姉(ハル)、兄(幸吉)、弟(関蔵)がいました。 文献によれば三女と伝えられていますが、津沢家の過去帳家系図によると次女となります。 昔の兄弟姉妹の数え方では三番目に生まれた子が女だったということで三女と記載されているようです。 なお、弟(津沢関蔵)は村合併後に庄瀬村議会議員。津沢家は先祖代々農業を営んでいる。 兄(幸吉)が若くして亡くなり、現在の津沢家は弟(津沢関蔵)の子孫にあたる。 山本権兵衛の妻/山本登喜子の墓所山本登喜子夫人の遺骨は津沢家に分骨され、津沢家屋敷内に 「山本権兵衛令室 登喜子之碑」と刻まれた墓所があります。 なお津沢家では屋敷内のこともあり、ご訪問はご遠慮いただきたいとの事です。 山本権兵衛と山本登喜子のドラマ海は甦えるTBS3時間ドラマ『海は甦える』(昭和52年8月29日放映)【原作:江藤淳】 山本権兵衛(演:仲代達矢)、山本登喜子(演:吉永小百合)、広瀬武夫(演:加藤剛)の 3人が主人公になっていたドラマでした。 このドラマ撮影前には、吉永小百合さんが新潟の方言を学ぼうと、津沢家をご訪問されました。 (写真は津沢家所蔵の昭和52年当時の吉永小百合さんと津沢家の皆さん) ◆ 『海は甦える』で山本登喜子(演:吉永小百合)のセリフに 「白根郷は田植えができても、洪水で稲刈りができないことがある」 と子供の山本イネ(演:大竹しのぶ)に言うシーンがある。 津沢関蔵(演:小松政夫)のセリフに「今年も稲刈りができない、雑魚(ざこ)でもとるしかない」ような 内容だったと思う。Wikiに漁師とあるが、津沢家の本業は農業であり、大河津分水路ができる前の明治期は 信濃川破堤で稲刈りができないために雑魚をとって収入にしていたのだろうと思う。 妻たちの鹿鳴館TBS3時間ドラマ『妻たちの鹿鳴館』(昭和63年10月8日放映)【原作:山田風太郎】山本権兵衛(演:竹脇無我)、山本登喜子(演:大原麗子) | ||
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