新潟白根の滝沢農園
滝沢農園トップ
TVロケ地
路線バスロケ地
ローカル路線バス新潟
映画ロケ地探訪
隠し剣鬼の爪ロケ地
隠し剣鬼の爪
たそがれ清兵衛ロケ地
たそがれ清兵衛
誘拐報道ロケ地
誘拐報道
学校ロケ地
学校
息子ロケ地
息子
時代屋の女房ロケ地
時代屋の女房
八甲田山ロケ地
八甲田山
冬の華ロケ地
冬の華
海峡ロケ地
海峡
家族ロケ地
家族
故郷ロケ地
故郷
男はつらいよ奮闘篇ロケ地
奮闘篇
男はつらいよ寅次郎恋歌ロケ地
寅次郎恋歌
男はつらいよ寅次郎忘れな草ロケ地
寅次郎忘れな草
男はつらいよ寅次郎子守唄ロケ地
寅次郎子守唄
男はつらいよ寅次郎相合い傘ロケ地
寅次郎相合い傘
男はつらいよ葛飾立志篇ロケ地
葛飾立志篇
男はつらいよ寅次郎わが道をゆくロケ地
寅次郎わが道をゆく
男はつらいよ翔んでる寅次郎ロケ地
翔んでる寅次郎
男はつらいよハイビスカスの花ロケ地
ハイビスカスの花
男はつらいよ浪花の恋の寅次郎ロケ地
浪花の恋の寅次郎
男はつらいよ寅次郎あじさいの恋ロケ地
寅次郎あじさいの恋
男はつらいよ旅と女と寅次郎ロケ地
旅と女と寅次郎
男はつらいよ口笛を吹く寅次郎ロケ地
口笛を吹く寅次郎
男はつらいよ夜霧にむせぶ寅次郎ロケ地
夜霧にむせぶ寅次郎
男はつらいよ寅次郎恋愛塾ロケ地
寅次郎恋愛塾
男はつらいよ柴又より愛をこめてロケ地
柴又より愛をこめて
男はつらいよ知床慕情ロケ地
知床慕情
男はつらいよ寅次郎心の旅路ロケ地
寅次郎心の旅路
男はつらいよ拝啓車寅次郎様ロケ地
拝啓車寅次郎様
トラック野郎御意見無用ロケ地
御意見無用
トラック野郎度胸一番星ロケ地
度胸一番星
トラック野郎望郷一番星ロケ地
望郷一番星
トラック野郎男一匹桃次郎ロケ地
男一匹桃次郎
君よ憤怒の河を渉れロケ地
君よ憤怒の河を渉れ
新幹線大爆破ロケ地
新幹線大爆破
犬神家の一族ロケ地
犬神家の一族
九州ロケ地
九州ロケ地2014
北海道ロケ地2013
北海道ロケ地2013
北海道ロケ地2012
北海道ロケ地2012
北海道ドライブ旅行幸福の黄色いハンカチロケ地
幸福の黄色いハンカチ
家族・遙かなる山の呼び声ロケ地
遙かなる山の呼び声
北海道2010
北海道2009
駅〜ステーション
北海道2008
鉄道員(ぽっぽや)
北海道ダイジェスト
四国2002
九州2005
九州1997

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地新潟

山田洋次監督映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』31作目(1983年=昭和58年)のロケ地。
ロケ地説明のため映像には映画タイトルを入れています。撮影当時の市町村名です。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
小千谷市船岡公園NEW

夢から目覚めた寅さん、ちんどん屋の夫婦(関敬六・石井富子)に起こされ、見送ったのが小千谷市船岡公園。
(新潟日報1983年6月10日(金)朝刊によれば、ロケ日は6月1日午後)
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地小千谷市船岡公園 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地小千谷市船岡公園
信濃川と魚沼(浦佐)方向の魚沼三山(左から越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山)が見える。
信濃川の右に見えるは小千谷水力発電所の斜面で、(右から読んでも左から読んでも)山本山です。
地元の方のお話によれば、煙突は片倉製糸工場(片倉工業小千谷製糸所)だったそうです。(現在さら地)
この片倉工業は信州諏訪湖にある片倉館の一族の会社で、映画「犬神家の一族」のモデルとなった片倉一族でした。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地小千谷市船岡公園
(2014年7月1日撮影、同日掲載)魚沼三山うっすらぼんやり。
信濃川にかかる山本山大橋は中越地震後の平成17年2月竣工で、当時はありませんでした。
お天気の時は魚沼三山が良く見えます。同角度で撮影された桜満開の小千谷船岡公園へどうぞ。
リンク
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地小千谷市船岡公園
昭和51年航空写真に位置を示す。赤い屋根が片倉製糸工場だった。
世界文化遺産に指定された富岡製糸所と並ぶ工場であった?
船岡公園への行き方は、小千谷市上ノ山一丁目交差点から入り無料駐車場があります。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
巻町並岡NEW

中之口村福島〜中之口村打越ではなかった。(2018年10月20日修正)
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地巻町並岡 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地巻町並岡
寅さんが旅に出て、田んぼの見える所で麦が実り、刈取りをしているお母さんに道を尋ねたのは
中之口村福島のバス停「福島」だが、加茂・白根・六分行のバス停が見える。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地巻町並岡男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地巻町並岡
【拡大】
当時は、はさ木が田んぼ農道脇あちこちにあった。現在は一部を残しほとんど存在していない。
はさ木なので岩室村夏井地区に似ているが、弥彦山方向の角度から見ても夏井地区ではないし
山の稜線が角田山近くまで撮影されている(右映像)ので岩室より東側で撮影されている。
また東側の山の稜線(左映像)からみても平野部の真ん中くらいの位置で撮影されているとみられる。
ワラを積んだものはわらにおと呼ぶ。下が現在のバス停、白根行が無くなった。
(当時、燕駅前〜福島経由〜白根営業所間のバス路線。加茂・六分行きは巻駅前からのバス路線)
福島バス停
最上段の岩室村夏井から撮影した写真(滝沢農園バナー)は、これで弥彦山がやっと入る位置である。
(岩室からでは山が近すぎて右映像の山の稜線が全部入りません)
中之口村福島地区の人にお聞きしたところ映像の女性は福島地区の人でないということでした。

左映像で映っている建物は巻町並岡にある大通川の佐渡山排水機場で照合が一致していることから
ロケ地は巻町並岡で結論を得た。
男はつらいよ 飛耳長目録 31作目新発見へどうぞ。
リンク
男はつらいよ旅と女と寅次郎/巻町並岡
巻町並岡の農家を訪ね、巻町並岡でロケされた証言と出演されたお母さんも判明した。
寅さんのロケがあったというのは巻町並岡では有名な話だった。
はさ木があった道は圃場整備で排水路になり、東の排水機場は当時2つ建物があったという証言。

寅さんはどこへ行こうと道を聞いたのか?次の映像が白根大凧なので白根ならばバスもあったのに、
(当時は巻駅前から馬堀経由で白根営業所行きがあった)
バスが数本しかなく会話から想像すると新潟交通電車線(新潟電鉄)の六分駅へ行こうとしたのかな?
農家のお母さん「まっすぐ行ってちょっと右曲って、油屋があ〜がぁて、そこからまっすぐ」と言っている。
「ガソリンスタンドがある」の意味である。中之口村六分のガソリンスタンドのことだと思う。
当時、県道加茂巻線の六分バス停を降りると角にガソリンスタンドがあり、少し右に行くと六分駅があった。
寅さんが尋ねた省略されたセリフ「電車の駅へ行くにはどう行くのかな?」と想像される。

当時越後線はディーゼル車で電化されておらず、新潟電鉄周辺住民は新潟電鉄(燕〜県庁前)のことを電車と呼び
旧国鉄(JR)のことは汽車と呼んで区別していた。今でも年輩の人はそう呼んでいる。
また市内線という路線はない。

映画に出演された巻町並岡の間宮正恵さん(大正11年生まれ96歳、撮影当時60歳)に
お話しを伺うことができた。(2018年10月21日取材)
男はつらいよ旅と女と寅次郎/巻町並岡間宮正恵さん
間宮さんによれば、撮影当日は家の蔵の工事をやっていたところにスタッフ数人が電話を借りに来られ
山田監督が撮影現場の変更を他のスタッフに連絡されていたらしいです。
推測すると、当初の撮影は中之口村福島を予定していたものと思われますが、
山田監督が巻町並岡のわらにおや山がよく見える場所で気に入られたそうで、
ロケ場所が変更になったと思われます。バス停は用意済みだったそうです。
(新潟日報1983年6月10日(金)朝刊によれば、新潟交通から古いバス停を借用とあり、ロケ日は6月1日午前中)
(新聞記事捜査協力:新潟日報社
リンク

急きょ山田監督から出演をお願いされ、「どこでもいいから道案内をして欲しい」との要望で、
寅さん「道を間違えてここに来たんだけど、ここは巻町だね、巻駅へ行くにはどう行くのかな?」
というセリフになり、いろいろ相談して、
間宮さん「まっすぐ行ってちょっと右曲って、油屋があ〜がぁて、そこからまっすぐ」
この油屋とは、巻町並岡でスタンド経営していた家の事だそうで、地元では屋号で油屋と呼んでいたそうです。
順序からすると、新潟電鉄方向かと想像してみたんですが、そこは編集され、
寅さんが白根大凧合戦で映っていないので、巻駅〜白山駅で越後線を使って県民会館へ行った
という設定になっているようです。

間宮さんは当時は新聞にも出たそうですが、「最近はどなたもお見えにならなくなりました」と。
間宮正恵さんの年齢を感じさせない若々しい話しっぷりには驚きました。
撮影終了後渥美さんは椅子に腰かけ、間宮さんはしばらく話をされたそうです。
渥美さんは目に涙をためられていたとか。
まさに間宮さんはミヤコ蝶々さんのようなおっかさんでした。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/巻町並岡
↑(弥彦山方位:2018年10月21日撮影)圃場整備後、道路が西側に移動している。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/巻町並岡
↑(護摩堂山方位:2018年10月21日撮影)圃場整備後、佐渡山排水機場が新しくなり、
近年、集落内(大通川の東側)に太陽光発電所ができ電柱が移動した。

映像の小屋ははさ竹小屋で、はさ木で稲を天日干しする時に使用していた竹を入れておいた小屋。
また、黄色い花はかっこう花で、アヤメの種類ではないだろうかと言うことです。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
白根大凧合戦:白根市と味方村

白根大凧合戦で新潟交通電車線(新潟電鉄=平成11年廃線)の白根駅舎が見える。
白根側から味方側をみた貴重な映像。(現:新潟市南区)
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地白根
白根大凧合戦は6月第1週目の木曜〜次週月曜の5日間開催されます。撮影は6月初旬。
当時は堤防内での観戦ができましたが現在は規制され、現在は船での観覧席が設けられています。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地白根 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地白根
ロケ地は白根大凧合戦へどうぞ。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
新潟市一番堀通町:新潟県民会館と白山公園

京はるみ(都はるみ)のステージが中止になった会場で、寅さんが露天商をやっていた場所。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地新潟県民会館 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地新潟県民会館
「やけのやんぱち日焼けのなすび、色は黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ、ときた」
「今日は新潟美人のお揃いだから安くしちゃおう」寅さんの名調子である。
新潟市ロケ地
京はるみのマネージャー(ベンガル)が記者(梅津栄)に「はるみさんは本当に病気なんですか?」と
責め寄られた場所は新潟県民会館の東側。(正面入り口から向かって左側の○印の所)

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
新潟市関新:よしや食堂NEW

寅さんがその後、夕食をとった食堂から出た所で新潟交通電車線(新潟電鉄)が通った場所は
新潟市中央区関新1-4-7のJR越後線関新ガード下交差点付近。
男はつらいよ旅と女と寅次郎 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地新潟市関新
東関屋駅から県庁前駅方面(平成4年廃止)に電車は走っている。昭和58年を偲ぶ貴重な映像です。
市内線という路線はない。正式には新潟交通新潟電鉄である。
新潟交通電鉄の駅名
県庁前駅は昭和60年に新潟県庁の移転に伴い、白山前駅に駅名が変更され、
旧県庁は平成元年新潟市役所になった。
寅さん「この近くに安い宿屋ねぇかな?」
食堂おばさん「近所にはねぇなぁ、駅まで行けばいくらでもビジネスがあるけど」
寅さん「ビジネスか、ビジネスはあんべぇ悪いなぁ、独房に入っているみたいで」
会話の駅とは新潟駅のことだが、この映像の最寄駅は越後線白山駅である。
この後、寅さんはどこに泊ったのか?あの様子だと越後線白山駅から吉田行きで吉田駅で乗り換えて、
最終出雲崎行きで出雲崎へ行ったことになりそう。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地新潟市関新
(2014年7月2日撮影、同日掲載)
ご近所の方の話によれば、食堂から出る店外シーンは実在した「よしや食堂」さん。
隣のたばこ屋さんは石井商店さん(現在駐車場)。(参考書籍:昭和58年西新潟版住宅地図)
新潟市関新ロケ地
県庁前駅から燕駅へ行くための電車が東関屋車庫から県庁前駅に回送される時
新潟電鉄の協力があり、このシーン撮影のため路上に電車を停めて、
本番スタートを合図に電車が走り出して撮影されたと「よしや食堂」さんが言っておられたそうです。
なお「よしや食堂」さん店内で昼ロケがされたとの話を聞きましたが、寅さんがお店を出る店内映像は日没後で、
窓から「ときわ荘」の看板と階段が見え、実際の当時のお隣さんではなく店内はセット撮影と思われる。
(昭和50年航空写真からも店内映像と位置関係が一致していない)

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
ホテルオークラ新潟と万代橋

京はるみ(都はるみ)の会社社長(藤岡琢也)と桜井センリがタクシーで降りたホテルは
万代橋近くのホテルオークラ新潟、ホテル外観が今も同じ。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地ホテルオークラ新潟と万代橋
映像の万代橋とホテルオークラ新潟
リンク

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
出雲崎町良寛堂

寅さんが子供が遊ぶ紙風船をふくらませた良寛堂。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎町良寛堂
出雲崎町良寛堂と現在のバス停(2014年6月30日撮影、同日掲載)。樹木の位置まで今も同じ。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎町良寛堂 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎町良寛堂前バス停
良寛堂隣の「まるこ」さん(民宿と食堂)は現在でも営業中です。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎町良寛堂
良寛と夕陽の丘公園からの良寛堂。良寛記念館駐車場から公園まで数十段の階段。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
出雲崎町出雲崎漁港

寅さんが佐渡へ漁船で渡ろうとした時、京はるみ(都はるみ)が乗っけて欲しいと漁船に乗せた港。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎漁港 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎漁港
寅さん満面の笑みで「すかす、こげぇなボロ船に乗ったんぢゃ時間ばぁか、かかって仕方ねぇべなぁとうちゃん」
『ばかかかる』は新潟弁で「大変にかかる」という意味です。新潟弁で言うと本来こうなります。

「そうれも、こんげボロ船乗ったら時間が、ばかかかって仕方ねぇこてねぇとうちゃん」
「そうれも、こんげボロ船乗ったら時間が、ばかかかって仕方ねぇろーなぁとうちゃん」

なので寅さんがアドリブで船長(山谷初男)のマネをしたのか?山谷さんの出身は秋田県で秋田弁なのだ。
新潟では「ねぇべ」などの「〜だべぇ」という語尾はほとんど使いません。
台本だったのか?京はるみが背中の肩で笑っている。なお、出雲崎漁港から佐渡行きの汽船はない。

ロケなら寺泊港のほうが近いし佐渡行きの汽船もあったしと思いながら・・・出雲崎に意味がある。
寅さん「佐渡と言えば佐渡金山が有名だけど、俺みてぇな素人が行ってね、ちょこちょこっとかき出して出てこねぇかね」
出雲崎は江戸時代に代官所が置かれ天領(幕府直轄領)であった。
佐渡から金銀が荷揚げされた場所である。また出雲崎には罪人の刑務所である牢獄もあった。
冒頭の夢の続きなのだろうか?前夜新潟の食堂での一言「ビジネスはあんべぇ悪いなぁ、独房みたいで」
冒頭の時代劇「天保の頃」と出る。天保の頃新潟港周辺も天領であり、罪人は出雲崎へ送られたのである。
そして島流しになるのです。
二人の罪とは寅さんは地権者の許可を取らずバイをしていた罪で、
京はるみが無断でショーをすっぽかした罪になるんでしょう。

冒頭の時代劇や物語の一部始終は
男はつらいよ覚え書きノート寅次郎な日々「旅と女と寅次郎」
リンク
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎漁港 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地出雲崎漁港
出雲崎漁港(2014年6月30日撮影、同日掲載)
映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地佐渡

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
両津港

藤岡琢也と桜井センリ、ベンガル等が乗っていた佐渡汽船ジェットフォイルは、
当時新潟港〜両津港のみ運行されていた。所要時間は1時間5分程度。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地両津港

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
佐渡:小木町小木海岸矢島

寅さんと京はるみが漁船で入った小木町の小木海岸矢島。
昭和52年に東映『トラック野郎度胸一番星』でも撮影された場所。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
佐渡:小木町宿根木

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
佐渡:小木町沢崎鼻

京はるみが「佐渡おけさ」を歌った灯台の見える海岸。
京はるみと寅さんが小木の港まで地元の船に乗せてもらい出発し、マネージャー(ベンガル)がたらいで
追いかけようとしたが海中に転落した場所が小木町沢崎集落。

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
小木港

佐渡汽船フェリーえっさ丸、小木〜直江津航路。これも貴重な映像です。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地小木港
佐渡汽船フェリーえっさ丸(2代目)は、昭和51年〜昭和63年就航
リンク
映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地北海道

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
北海道京極町:京極駅

寅さんが京極駅から通りに向かって歩く場面。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地京極町 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地京極町
胆振線(1986年=昭和61年廃線)の京極駅。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地京極町

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
北海道留寿都村NEW

寅さんが通りを歩く場面は、留寿都村の国道230号線沿いの歩道。(京極駅前ではありません)
その先に長万部の熊(佐山俊二)らがいる。
寅さんが長万部の熊(佐山俊二)に話をする場面とルスツ高原カントリーランドの馬車が通過する場面。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村
留寿都村役場前の国道230号線交差点付近。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村
(訪問日2019年10月6日撮影)交差点付近のはた商店の女将さんによれば、
祭りでもないのに飾り付けしていたことだけ覚えているそうです。随分昔の話だねと・・
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』ロケ地/
北海道留寿都村NEW

映画『男はつらいよ旅と女と寅次郎』の最後の映像、羊蹄山が見える場面。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村 男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村
(訪問日2019年10月6日撮影)留寿都村役場方向で、留寿都村向丘から撮影された羊蹄山とニセコ。
男はつらいよ旅と女と寅次郎/ロケ地留寿都村

『旅と女と寅次郎』には支笏湖のロケ地はありません。
支笏湖ロケ地は『翔んでる寅次郎』
当サイトはリンクフリーです。
当サイトに掲載した「男はつらいよ旅と女と寅次郎」ロケ地は映画場面と当時の航空写真を照合して探査しました。
ロケ地照合探査のため、場面解説に映像(「男はつらいよ旅と女と寅次郎」と明記)を使用し、
国土交通省空中写真(国土交通省航空写真と明記)を利用しました。
映像の著作権は、映画(製作・配給)会社に帰属しています。
お便りは雪ん子滝沢農園メールsince2014/5/25

inserted by FC2 system