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直江兼続と白根大凧合戦
熱戦/白根大凧合戦
直江兼続と樋口兼光
上杉景勝と直江兼続の生誕地・南魚沼上田庄
上杉謙信と栃尾城
直江兼続と直江石堤
直江兼続とお船の墓所 米沢・林泉寺
上杉景勝と直江兼続の生誕地・南魚沼
「ここは越後上田の庄」で始まった、NHK大河ドラマ『天地人』。ゆかりの地として観光にどうそ。
坂戸城
関越自動車道・六日町ICより国道17号線経由で、魚野川の六日町大橋を渡ると、
正面に坂戸山があります。
銭淵公園には、無料駐車場があり、ここから坂戸城跡の碑まで徒歩で10分程です。
銭淵公園にある案内板によれば、
『南北朝時代(14世紀中頃)、新田氏に替わって上杉氏が越後守護になると、
家臣の長尾氏(上田長尾氏)が勢力を伸ばし、やがて南魚沼地方(上田庄)を治めるようになった。
16世紀初頭、越後国内が戦国の動乱期に入り、坂戸城は
長尾房長
による本格的な築城が始まった。
天文19年(1550年)、
長尾景虎(後の上杉謙信)
が越後国主となるに及び、
翌年、政景(房景の子)は景虎と和睦を結び、臣従するに至った。
天正6年(1578年)謙信が急逝し、
景勝
(政景の子)が御館の乱(1578〜80年)を経て越後国主になると、
坂戸城は近隣武将の番城とされ、城国経営の要所となった。
慶長3年(1598年)、
豊臣秀吉
の命により景勝は会津に国替えとなり、春日山城には越前から
堀秀治
が入った。
坂戸城には秀治の家臣
堀直寄
が入ったが、同15年(1610年)坂戸城は廃城となった。』
◆
地元の人のお話では、上杉景勝(喜平次)の父・長尾政景が
宇佐美定満と魚野川のほとりにあったとされる
野尻ヶ池で月夜の晩に船を浮かべ、宴会をしていて溺死した池は、
この銭淵公園あたりにあったのだろうと言う事です。⇒どうも違うようですが。
雲洞庵
上杉景勝と直江兼続が幼少期に学問を学んだ雲洞庵。
さすが平日にも関わらず乗用車やオートバイでいっぱいでした。
宝物殿には、上杉景勝などから雲洞庵に送られた書状も展示してありました。
NHK大河ドラマ『天地人』で放映された場面で、
父・樋口惣右衛門に連れられて、与六が長い階段を登る雲洞庵の場面は、
群馬県富岡市にある妙義神社でロケされたものです。
残念ながら、長い階段はありませんでした。
滝沢直紀
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